巣鴨

RYOZAN PARK巣鴨保坂和志の小説的思考塾3回目。巣鴨に来るのも今日で3回目。行く途中に通り過ぎる、閉店して寂れて取り壊しを待つだけだった飲み屋街の建物が、今日ついに解体されてしまい、工事用車が小刻みに身体を震わせながら懸命にむき出しの土を掘り返していた。

保坂和志的小説とは、小説の一つというよりもある程度かたまったジャンルに近いくらいの力を持っていて、その世界を好む人が思い浮かべる小説というのは、どうしても保坂的なものになってしまう。形式的に似てしまうというよりも、思考の基本仕様と流れ方が決められてしまっている状態に近い。

切れ目なくどこまでも繋げたくなるのに逆らって、個々を「過去形」として、つまり一旦距離をとって、個々がきちんと繋がることを信じて、余計な蛇足を加えずに、大胆に進めていくという、それが出来るかどうか。

というよりも、なぜそもそも書くのか?そこがな…と根本的なところで再び逡巡の思いにとらわれたりもする。

帰りに西日暮里に寄り道して少し飲むつもりが天ぷらが多くて満腹してしまい帰宅後も何も食べられなかった。こうして飲み食いして日々を過ごしてれば、たいへん結構なことだ、何をしてるんだかなあ。