目を瞑って歩く

朝、駅までの道を、数えきれないくらい、毎日毎日、同じように歩いていて、これほど何度もくりかえしてきたなら、もはや目を瞑っていても、歩けるのではないか、いや、そうは思わない。さすがにそれは無理だ。家から駅まで十五分ある。十五分間、目を瞑ったままで、目的地まで歩くことはできない。目を瞑るというのは、目を瞑ることではじめて見えるものを見る、ということでもある。目を瞑って、はじめてそれを見ながら歩くことになるのだ、そんな経験は当然これまで皆無だ。機会があれば、ためしにやってみれば良いのだ。でも無理、まずやらないだろう。見よ、今も前後に、人が歩いている。朝の通勤だから、当然誰もが、駅を目指して歩いているのだ。歩くスピードは、人それぞれ、ばらばら、まちまちだ。自分が歩き、前の人が歩く。自分が、追いついてしまうこともあれば、自分が、前の人に追いつかれ、追い抜かれて、引き離されることもある。後ろから靴音が聞こえてきて、僕の脇を横切り追い越していく相手は、僕よりも背の高い、大きな歩幅でぐいぐい歩いていく男のこともあれば、めまぐるしいほどの小刻みさで、踵の高い靴をカツカツと音高く歩を進める女性のこともある。なにしろ、歩くのが速い人はやたらと速い。決して追いつくことはできない。追いつける人もいる。人にもよる、人のペースにもよる、前半と中盤と終盤のペース配分の違い、誰もが終盤は早くなるが、その割合が人それぞれ、そんななかで、自分の無理ないペースで歩くスピードと、目前の相手のスピードが、たまたまぴったり一致することがある。そのとき二人は、前後の距離関係を崩さず、ひたすらぴったりと前後に寄り添うかのような連隊となって、どこまでも一緒に歩いていく。その後ろが自分で、そのとき僕ははじめて、いまもし目が見えなくても、これならこのまま歩けると思う。目を瞑っても、目の前の相手の気配、音、息遣いと、匂い、それさえ前方に感じ取れれば、このまま、彼の後をついて行きさえすれば、何も見ず駅まで到着できると気づく。同じ歩調で歩き続けつつ、僕はうつむいて、交互に行ったり来たりする相手の靴の踵を見ている。これをじっと見続けているだけで、周囲をまるで気にしないまま、こうして下を向いたまま歩くだけで、目的地に着くことができる、このまま、目を瞑ることさえできるかもしれない。あろうことか、このまま、眠ることさえできるかもしれない、と思う。