木挽町

ここは、かつて木挽町という地名だった。銀座と木挽町は、三十間堀川という一本の川によって隔てられた二つの町で、戦後すぐに川が埋め立てられ一続きの地面になったので、町の名前も変わってここらあたり一帯を東銀座と呼ぶことになった。それまでの木挽町の人にとって、銀座は隣町という認識で、古くからの住人にとっては、それは今でも記憶のどこかに残っていて、地域や地元への感覚というのか、考え方というのか、それがあちらとこちらでは、ちょっと違うんだと…などという話を、かつて木挽町だった場所に建つ古いお店で聞いた。