アルビニ

水泳時に着用するウォークマンがまた壊れた。でも前みたいに、数日すればまた復活するんじゃないだろうかと期待をかけて放置しておく。壊れたやつは二代目で、初代はまだ生きているので明日以降はとりあえずそちらを利用する。

ビートルズのリマスターされた音の生々しさは(たとえストリーミングであろうと)かなりの迫力で、ほんとうに音源というのはこうして定期的にリマスタリングされると大変ありがたいものだなと思う反面、いや過去の歴史のさまざまな環境下、条件下でつくられた作品たちを、そのときのもっとも適切と思われている(けど結局はその時節の流行に流れ気味でもあるような)音質と再生環境にあわせて作り直すことが果たして正しいことだろうかと、かすかな疑問も感じなくもない。とはいえやはり普段のリスニングにおいては歴史もジャンルもその他諸事情もぜんぶまぜこぜにしてグシャグシャにシャッフルして聴いたり、あれじゃこれじゃとのべつまくなし節操なし脈絡ゼロの気分で聴きまくっているのだから、そこで四半世紀前から大好きだった曲が、最近の凡庸な曲と並べたときでさえ、どうしても出力不足のパワー不足で、まるでスピーカーに分厚い布を被せた上から聴いてるような物足りなさを感じさせられたりすると、ああ何とかリイシュー出ないものだろうかと切実に感じる。

と書きながら僕は一枚のアルバムを思い浮べていて、それは他ならぬPJ Harveyの「Rid of Me」である(https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/20061001/p1)。スティーヴ・アルビニによってプロデュースされた本アルバムのリリースは1993年。明快な音の落差において聴く者を物理的・暴力的に捉え込もうとするかのような、このダイナミズムこそが後に一部エレクトリック系ミュージシャンにとってのアルビニを導きの師のようなイメージにしたのだろうが、アルビニ自身はエレクトリック・ミュージック全般への嫌悪を隠さなかったという逸話をどこかで読んだ気がする。そんなテイストの作品だからこそ、今聴いていると、なんとももどかしい思いになるというか、今聴くとこれはもはやダイナミズムどころではなく篭った小さな音の塊りしかないという感じだ(93年ライン取りのLIVE音源の方が現時点ではよほどインパクトあり)。昔は自分で何度も聴いていたのに、こんな音で何とも思わなかったのかと不思議な気がする。まあ、それが時代による変化というものか。