日記

「ドリュウラ・ロシェル日記」を読み始めたら、そのまま、だらだらと、いつまでも読み終われなくなる。日記というのは、読んでいると、誰であろうが、きりがないものだ。時代的にはかぶるところもある永井荷風断腸亭日乗もそうで、どこからどこまで読むというよりは、年月日とかで区切って読むしかないようなものだ。日記が、そもそも日付を目安に読むような形式になっているのだからそれは仕方がない。日記にもし、日付がいっさいなければ、それば小説にかぎりなく近いものだろう。

以下引用するが、まるでとりとめない。何かをあらわしたいとか、ここが面白いと思って、引用したわけではない、というか、当初はそのつもりだったけど、引用しているうちに、何を引用したかったのかを忘れてしまった。いま自分で読んでも、思い出せない。しかし、まあなにしろ、いろいろとせっぱつまってる人の日記である。人生を将棋みたいなものにして、それでそろそろ、本当に詰みそうな人の日記である。彼はドイツ降伏のあと、ほどなくして自殺する。

わたしは、パリに生まれた。パリと運命を、石畳と運命をともにせねばなるまい。
 強制収容所のわたしは、ヨーロッパの運命に立ち合えるだろう。それで身も心も死ぬ思いをするとしても、仕方ないではないか。
 亡命先でユダヤ人や自由主義者と鉢合わせなんて、ぜったい御免だ。むしろ、捕虜や戦死者の居場所になるこの街にとどまろう。
 唯一の懸念は、わたしを利用しようと圧力をかけるドイツから、結果的にひどく侮辱されることだ。だが、そんなもの、わたしが今、フランス人であるために忍ぶ侮辱と比べれば、何だというのだ。また、たっての願いだったヨーロッパの、後戻りのできない状態に、仲介者として加わるべきではないのか。

(中略)
---パリから脱出するとしたら、それは爆撃を避けるためだ。だが、その後わたしはフランスのどこかで捕まりそうなので、パリにとどまるのと同じだ。スペイン国境を越えるか。いや、それはなんとも侘しい。

---間もなく社交界の名士連とも、作家たちとも、ユダヤ人、混血ユダヤ人、自由主義者、穏健派とも、今生の別れだ。パリにも、森の近くにも住めなくなる。一人きりでいられなくなり、一人の女と、そして彼女の子供たちと、片時も離れず暮らすこともかなわない。間もなく、取り返しはつかない。詩人になるには遅すぎた。

以下は編者ジュリアン・エルヴィエによる編者解説

この日記は次善の策で書いているのだ、とは作者自身のあけすけな弁である。「わたしは日記専門の作家たちの、けち臭い集中力にはぞっとする」(三九〇頁)と書く。おそらくジッドを読み、物に憑かれたように瑣事を惜しむ姿に嫌気がさしたのだろう。ドリュウは手厳しく、「ジッドの日記をパラパラめくる。どうして無内容なほど短い記述や、じきに誰のどんな話なのか理解できなくなる人々で、あんなにページを埋めるのだろうか」(一二八頁)と評している。なにより日記は、より創造力が直接に現れる作品の、中途半端な代用品と映っていた。「作品の代わりに日記をつけるとは弱気もいいところ。ジッドが小説や戯曲に書ける良質のものを自分に見つけられず、せいぜいもっともましな自分を日記に編集させているのが何よりの証拠だ。フランス文学の終焉を告白している」(三一六頁)。
次に見るように、自分の日記も非難を免れていない。
「このノートには、他に何もせずに、本格的な作品を書かずにおく怠け心から、文字を連ねただけだ。日記には作家の卑劣さが表れる。文学的迷信や後世をにらんだ計算のきわみだ。他にも、何ひとつ失いたくない吝嗇から書くものがいる。」(四九六頁)。

したがってドリュウは、この日記を完全な文学作品とは見なさず、衝動的に書いた後は入念に遂行しなかったが、普段の彼が綿密に手を入れていたのは『ジル』の随所に膨大な書き直しのあることからわかる。
原稿にはほとんど訂正がなく、そのため書きなぐった感じの箇所も多いが、初稿の瑞々しさと素直さもとどめている。とはいえ、ドリュウはこの作品を気にかけ紛失を恐れていた。「シュザナ・ソカが出発してこのノートを救ってくれるといいのだが。作家は死ぬまで自分の存在にこだわるものだ」(二七六頁)。他の日記作家たちを凌駕できなかったと嘆くドリュウは、密かに彼らを出し抜こうとしていた。たとえば次の一節がそうだ。「もう働けないし、無知だし、もう何一つ経験からは学べない。もっとも、政治的冒険なら板についている。だが、そんなものは結局、数々の魂の日記同様。空虚な日記の肥やしになるだけだ。この日記は、他人のよりは率直だろうが、やはり不完全だ」(二二三頁)。