ばたばたしているうちに週末になって、はっと気づくと日曜日も終わりだ。アレルギー性鼻炎がえらいことになってるし、帰りは遅いし、どうも忙しなく落ち着かない。ゆえにじっくりと書く気にもなかなかなれない。Mさんの日記を読むのだけが一日のうちで唯一の楽しいこと、みたいになってしまうのも、そんなことでいいのか、どうなのだよ自分!と思うが…。「囀りとつまずき」は明日か明後日には読み終わるだろうが、ゆっくりと大事に進めましょう。
きのうは広尾のTakuro Someya Contemporary Artの岡粼乾二郎展へ。そのあとさらに六本木まで歩いて、ShugoArtsの小林正人「Thrice Upon A Time」へ。今日は木場のgalleryCOEXIST-TOKYOで井上実展へ。
凄い絵ををみているときって、超単純化して言うと秩序の崩壊と回復(と再崩壊(さらに再回復?))のドラマをみているのだとも云えるけど、そういうドラマっていうのは簡単に仕掛けられるようなものではないはずなのだが、すぐれた作家はまるで自分以外のテンポラリな人生を一瞬だけ生きるかのようにそれを生み出すし、すごい作品を体験するというのは、どうしてもある種の、死の疑似体験的なところがあって、それはつまり「やばい!やばい!」という感覚がほとんど死に近づくときの感覚に似ているからなのだと思うし、秩序が壊れるというのは、結局そういうことなのだと思う。
僕なんかは、どうしても保守的で自己保身的なところが強くあって、ある種の作品のもたらす強力な秩序破壊作用には、とんでもない刺激をおぼえながらも、ああできればもっと安らぎたい、できればもっと穏やかに、できればもっとやさしくしておくれ、できればもっと休みたい、酒をのみたい、みたいなのが、どうしてもある。これはもはや、自分という個体としてのさがで、とはいえ変な話で、個体の枠内に苛立たしさは感じてもいて、いずれにせよ結局は、皆、孤独なのだと、こんないい年してそれを今さらのように感じますね。ほんとうに凄い作品は自分という個体を隔絶し、独りであることをあらためて自覚させてくれるものだよ。ものさびしいことだ。