自撮り

27日の三宅さんの日記の、自撮り写真の話に爆笑。あるカップルが、雑誌やテレビのワンシーンのような、いや、そういうイメージのなかでももっとも俗っぽくコテコテな雰囲気のいかにもキメキメなポーズと仕草の「自己演出」で自撮りして、それをSNSに上げていて、その女性の知り合いでもある三宅さんがその写真を見て驚愕したという話なのだが、「(…)正気を疑わざるを得ない。」から続けてたたみかけていく下りが死ぬほど面白くて一分くらい笑い続けてしまったのだが、でもそんなノリノリの自撮りというのは、ある意味逆に、自意識がまったくないからそれが出来るとも言えるのかもしれない。自分を使って、そういう感じになるという、かなり現実主義的な計算からやっているのかもしれないとも思う。自分を、「この私」ではなく、単にその他大勢の中の一人と本気で考えることができるなら、そういうことも可能になるのかもしれない。でもそれはけっこう難しいことだろう。いずれにせよ羞恥の基準をこちらと共有していない相手を前にしたら、こちらは常に脅かされる立場だ。

ナルシシズムというのは、自意識過剰と似ているようでいて、じつはちょっと違うのではないか。ナルシシズムとは自意識を見失った主体に折り返された転移ということになるのだろうか。その意味で上記の自撮りは、ナルシシズムという感じではない気がする(写真そのものを見てないけどおそらく)。いや、ナルシシズムなのかなあ…。その自意識が、どのくらいの被写界深度かによるのだと思うけど、ナルシシズムってけっこう浅い範囲で発生するものかもしれず、だからこそ固有の「良さ」(?)があるのかもしれない。いや、というか、主体においてナルシシズムと羞恥が対になってめまぐるしく入れ替わる状態を自意識過剰と言うのか。なんか、何を言いたいのかわからなくなってきた。