1R1分34秒

町田良平「1R1分34秒」を読む。面白かった。デビュー間もないが既に負けの込んでるプロボクサーが主人公で、この彼がすごく理屈っぽいというか内省的な人物で、対戦相手の名前をネットで調べて、SNSなどで人となりを知る、というか知った気になって、自分と彼との架空の関係を想像でかたちづくり、彼を想像し、あるいは脳内で対話する。試合では彼に敗れていて、その記憶と並行するかのような、想像上の彼とのやり取り…実質ほぼ独りの妄想…が呟かれる。自分の内側にじっと引きこもって、試合の記憶を反芻し、そのときの相手と自分の、一挙手一動足を執拗に反芻する。自分の声を自分がずっと聞き続けているような世界、ジムやバイト先の人間関係に対する「外面」な部分、映画を作ってる友人に対して見せる「撮られるボクサー」としての外見的部分、ボーイフレンドとして付き合う女に甘えや弱さを露呈する部分、それぞれが自分だし、どれも自分ではない。複数の並行する線をいくつも生きている。と言うよりもこの自分がいて、自分が思っている自分が、ボクサーとしての自分を理解し、把握して、制御しなければいけないのだが、それが合致しないから、ひたすら考えが考えをよぶ。試合の相手が謎でもあるが、まず自分が謎である。自分になけなしの何かがあるのか、そもそも何もないのか、どうすればベストなのか、どう考えるのが適切なのか、自分と自分が分裂しているがゆえに、思考がエンドレスで続く。

そんな内省的な小説でありながら、同時にスポーツ小説としてすごく単純に面白い。男っぽい。精神論でもなく比喩でもなく、どこまで理性で行けるかを徹底的に突き詰めようとする、その構えがスポ根的な魅力をもつ。ボクシングの専門用語や技術的な思考と、定まらぬ思いの部分が混在して、独白的に延々続く文章が、書かれた言葉そのものがギシギシと音を立てて軋むかのようだ。

自分の考えが、弱い方へ流れそうになったり、間違っているかもしれないと感じることと、文章が分かりやすい比喩やありきたりの結論に着地しそうになることが同等と捉えられているような、その思考をあきらめずに、もうちょっと踏ん張りたいという気持ちを、主人公と書き手で分かち合っているかのようだ。それを、まるで彼の内面がわかっているかのように鋭く指摘するトレーナーのウメキチ。ウメキチ登場後は、主人公の内側だけにあった内省が、じょじょに外側へ導き出されていき、心身に余裕が無くなるにつれて様々な自分の並立が消えていき、試合直前の減量にかかる心身の苦痛も相まって、追い込まれて、言葉の超高密度なフリーフォーム状態に至り、心身の極限的な苦痛が、そのまま言葉的には快感であるかのような境地が見える。