間隔感覚

四半期に一度、つまり三か月に一度作動する処理の準備をしていて、これがほんとうに三か月毎だろうかと思って、めまいに似た感覚をおぼえる。前回すなわち三か月前に同じ準備をしたのが、三か月も前のことだなんて、冗談としか思えないし、その前すなわち六か月前のことだって、かなり明確に記憶にある。どちらの前歴も、先月と先々月と言われても違和感ないほどの実感だ。過去の記憶はこうしていつも時間差とセットで思い出され、その違和感が問題になる。

過去は出来したとき、それは現在から思い出しているのではなく、いまここにありありと現前しているとするならば、そのありありとした感じの属性として、本来は何か月も前だとか、何か月も前のはずなのにまるで先週のことのようだとか、いわば今この時よりもよけいに複雑な情報が付与されたものとしてある。

たぶん現時点からの距離を正確に測れていないのだが、それは測定能力の低下というよりも、拠点である現地そのものがふらふらと揺らいでいるのだと思われる。現時点そのものの定まらなさ、そんな条件でのふるまい方の問題だ。というよりそれがもはや問題じゃない、過去の記憶と現在との関係をそんな雑な位置関係で構わないと許容してしまうあらたな怠惰さを得たのだ。