一汁

本来は食事も習慣化されているのが、人間としてもっとも良いことなんだろうと思う。毎日同じ時間、大体似たような品目を、同じ分量だけ食べる、そういう食事のなかに、よろこびを見出していくことが、いちばんの幸いだろう。そのときの味覚的なよろこびとは、また季節の循環という大きな周期を土台にして、同じような感覚に刻まれた一日という時間とセットで感じられるものであるだろう。一汁のもたらしてくれるよろこび。味噌汁やスープなど、温かいものを取り入れるときに、食事の根本にあるありがたみを感じることがある。味覚的に美味いとかそれ以前の段階で、体内に温かさが宿ることの満足感、充電がいきわたったような不足の解消感をおぼえる。血行が円滑で、エネルギーが体温を上げ、四肢の隅々にまで万遍なく酸素がいきわたり、それで身体が慢性的な弱愉楽のうちにある、ほんとうはそれだけで充分だろうし完璧な状態だろうと思う。一汁一菜とはおそらく栄養バランスとかカロリーの問題というよりも、身体に最低限の熱量と覚醒をもたらすに必要なラインナップということで、それだけをもって身体をリブートさせることができるし、それ以上でもそれ以下でも難しいということだろう。そのためにはなるべく少ない分量をもってそれを摂り入れる自分を観察しないといけないのだが、言うは易しで、実際はなかなか難しい。