和辻哲郎と風呂

先日、三宅さんの日記を読んでいて不意打ちのように気付かされたこと。それは名古屋・京都間が、電車で一時間も掛からないということだった。当たり前ではないかと言われそうだが、じつは僕に今までその発想はなかった。名古屋ならここ数年で何度となく行ったのに、一度として帰りに京都へ寄り道しようとは思わなかったし、それが容易く可能だとも思い浮かばなかったのだ。なんとなく凄く勿体ないことをしたような気が今更してきた。

それとは関係ないけど最近はなぜか、和辻哲郎の「古寺巡礼」をたまに読んでいる。きっちり精読ではないにせよ、気が向いたときに適当にパラパラと読んでいるのがちょっと楽しい。大正時代に古都を巡った筆者の、仏像を対象とした芸術論でもあり、作品論でもあり、民族・文化・宗教のルーツに遡行する思考の書でもあり、それだけでなく友人同士がかたちづくる若者に特有の濃密な時間が刻まれた魅力的な旅行記でもある。

で文中、風呂に関する考察が二回出てきて印象的だったのだが、最初の項(岩波文庫32頁~)では、西洋と日本の風呂に対する感覚の違いの不思議、実用本位である西洋に対して、まず湯浴みを享楽する日本という感覚的違いが比較される。まるで「陰影礼賛」において、西洋のトイレと日本の厠を比較した谷崎のようにだ。「古寺巡礼」上梓は1919年(大正8)で、今からほぼ百年前。「陰影礼賛」は1933年で「古寺巡礼」よりもかなり後になってからではあるが。

 西洋の風呂は事務的で、日本の風呂は享楽的だ。西洋風呂はただ体のあかを洗い落とす設備に過ぎないので、言わば便所と同様の意味のものであるが、日本の風呂は湯の肌ざわりや熱さの具合や湯のあとのさわやかな心持ちや、あるいは陶然とした気分などを味わう場所である。だから西洋の風呂場と便所とはいっしょであるが、日本人はそれがどんなに清潔にしてあっても、やはり清潔だけではおさまらない美感の要求から、それを妥当と感じない。

和辻哲郎はきっと風呂が大好きなのだろう。

日本人は風呂で用事をたすのではない、楽しむのである。それもあくどいデカダン趣味としてではなく、日常必須の、米の飯と同じ意味の、天真な享楽としてである。
 温泉の滑らかな湯に肌をひたしている女の美しさなどは、日本人でなければ好くわからないかも知れない。湯のしみ込んだ檜の肌の美しさなどもそうであろう。
 西洋の風呂は、流し場を造って、あの湯槽に湯が一杯張れるようになおしさえすればいいのである。この改良にはさほどの手間はかからない。それをやらないのだから西洋人は湯の趣味を持たないとしか思えない。

このあと、光明皇后の伝説とされる(カラ風呂)の話が出てくる(岩波文庫105頁~)。以下は風呂と言っても今でいうサウナ風呂のようだが。

元亨釈書』などの伝える所によると、――東大寺が完成してようやく慢心の生じかけていた光明后は、ある夜閤裏空中に「施浴」をすすむる声を聞いて、恠喜して温室を建てられた。しかしそればかりでなく同時に「我親ら千人の垢を去らん」という誓いを立てられた。もちろん周囲からはそれを諫止したが、后の志をはばむことはできなかった。かくて九百九十九人の垢を流して、ついに最後の一人となった。それが体のくずれかかった疥癩で、臭気充レ室というありさまであった。さすがの后も躊躇せられたが、千人目ということにひかされてついに辛抱して玉手をのべて背をこすりにかかられた。すると病人が言うに、わたくしは悪病を患って永い間この瘡に苦しんでおります。ある良い医者の話では、誰か人に膿を吸わせさえすればきっと癒るのだそうでございます。が、世間にはそんな慈悲深い人もございませんので、だんだんひどくなってこのようになりました。お后様は慈悲の心で人間を平等にお救いなされます。このわたくしもお救い下されませぬか。――后は天平の美的精神を代表する。その官能は馥郁たる熱国の香料と滑らかな玉の肌ざわりと釣り合いよき物の形とに慣れている。いかに慈悲のためとはいっても癩病人の肌に唇をつけることは堪えられない。しかしそれができなければ、今までの行はごまかしに過ぎなくなる。きたないから救ってやれないというほどなら、最初からこんな企てはしないがいい。信仰を捨てるか、美的趣味をふみにじるか。この二者択一に押しつけられた后は、不レ得レ已、癩病の体の頂きの瘡に、天平随一の朱唇を押しつけた。そうして膿を吸って、それを美しい歯の間から吐き出した。かくて瘡のあるところは、肩から胸、胸から腰、ついに踵にまでも及んだ。偏体の賤人の土足が女のなかの女である人の唇をうけた。さあ、これでみな吸ってあげた。このことは誰にもおいいでないよ。――病人の体は、突然、端厳な形に変わって、明るく輝き出した。あなたは阿(しゅく)仏の垢を流してくれたのだ。誰にもいわないでおいでなさい。

この個所を読んで驚いた。あまりにもなつかしかったからだ。僕は小学校三年か四年のときに、この光明皇后のエピソードを学校の図書室にあった「偉い人の伝記」マンガで読んだことがあったのだ。マンガで描かれた、らい病患者のグロテスクさに身が縮みあがる思いをさせられたし、その患者の身体に直接触れ、挙句は口で膿を吸い出す仕草(影絵のように表現されていた)まで読んだときには、あまりの衝撃でしばらくの間何も手につかなくなってしまったほどだった。もちろんハンセン病についての知識も持ってない子供時代である。いやそれを差し置いてもこの伝説には醜悪をもてあそぼうとする暗い歓びがひそんでいるだろう。今ならさしずめ、タランティーノの映画「プラネット・テラー in グラインドハウス」に出てくるゾンビの表現の醜悪さを思い浮かべたくはなる。全身を醜く覆う無数の巨大な吹き出物の一つを指でつまむと、ぶちゅっとつぶれて中から腐敗した膿がほとばしって向かいの相手の顔を汚すみたいな、そういう考えうるかぎりもっとも品性を欠く幼稚な悪意と悪ふざけで図に乗った表現が、この歴史に残る伝説にも物語のディテールとしてしっかり内包されていると思うし、ましてや決意をかためた皇后は、それを直接、口で受けるわけだ。

 しかし重大なのはこの時の浴者の心持ちである。自ら蒸気浴を試みてみたら、その見当がつくかも知れないが、もしそこに奇妙な陶酔が含まれているとすると、事情ははなはだ複雑になる。人の話によると、現在大阪に残っている蒸し風呂はアヘン吸入と同じような官能的享楽を与えるもので、その常用者はそれを欠くことができなくなるそうである。もし蒸気浴がこのような生理的現象を造り出すならば、浴槽から出たときの浴者は、特別の感覚的状態に陥っているといわなくてはならない。ちょうどそこへ慈悲の行に熱心な皇后が女官たちをつれて入場し、浴者たちを型通りに処置されたとすると、そこに蒸気浴から来る一種の陶酔と慈悲の行が与える喜びとの結合、従って宗教的な法悦と官能的な陶酔との融合が成り立つということも、きわめてありそうなことである。天平時代はこの種の現象と親しみの多い時代であるから、必ずしもこれは荒唐な想像ではない。こういう想像を許せば「施浴」の伝説は民衆の側からも起こり得たことになるであろう。

和辻哲郎も語る通り、この伝説の中には、明確に官能性へのまなざしがある、端的に言ってエロを享楽しようとする意志があると言えるだろう。さすがに強烈過ぎて僕はちょっとダメだが…。