ナッちゃん

保坂和志「季節の記憶」を再読。主人公の中野さんがはじめてナッちゃんと出会う場面で、ナッちゃんに声をかけるのはそのとき中野さんと一緒にいた美沙ちゃんで、中野さんとナッちゃんはその時ふつうに初対面の挨拶をする。中野さんはナッちゃんの顔を見て、誰なのかわからないけど見覚えがあるような気がして、ナッちゃんが立ち去ったあとの美沙ちゃんの態度を見て二人の仲を想像したりする。実はナッちゃんは相手が男か女かで態度を使い分けるタイプじゃないかとか、美沙ちゃんは実はナッちゃんとそれほど仲良くはないのかもしれないとか、すでにナッちゃんに対して軽くネガティブなイメージを思い浮かべていて、しかし美沙ちゃんはべつにナッちゃんのことを中野さんの想像のように考えているわけではない。とはいえ美沙ちゃんがナッちゃんをどう考えているのかは、さいごまで明確にはわからない。

実際、ナッちゃんはけっこう面倒くさい人で、喋ることが面白くないし、盗聴されてる妄想とか、血液型にもとづいて他人の性格を云々するとか、いつも自分が世界の中心というか、すべてが自分から始まっていて、自分基準でしか物事を把握しないことが当たり前の、いわば自意識をきちんと制御できてないタイプと中野さんや松井さんからは思われてしまうような人で、実際中野さんはナッちゃんを見かけるとすぐにその場から逃げようとするくらい、ナッちゃんが苦手な人になってしまう。

中野さんは美沙ちゃんのことを気に入っていて、それがなぜかという理由を、小説内できちんと言葉にして語っている(他の登場人物に語るのではなく、独白する)。で、ナッちゃんのことを気に入らない、その理由も、美沙ちゃんについての事の何倍にもわたって書かれる。これは独白もあり、松井さん美沙ちゃんとの会話においてもさんざん語られる。

結局のところ中野さんは一貫してナッちゃんのことを気にしている、たぶん意識下のどこかで、相手に魅了されている。中野さんが独白や対話で、ナッちゃんのどこがダメなのか、どこがつまらないのかを口を酸っぱくして言葉にするのだか、それがナッちゃんを否定し切ることにならない。

最終的には二階堂くんの見事な分析に説明されることで、ナッちゃん問題は一応解決のかたちになったかのようではあるが、過去に自分との因果によって紐つくような特定の誰かとして説明できてしまうことではなくて、それはこれまでの過去に経験した状況の記憶が呼び覚まされたということで、それを恋愛感情的なものに君は勘違いしただけだという話だけで説明がついたことになるのか。

ここからは僕のきわめて勝手な解釈(というか以前書いた"これ"を用いた意図的な誤読)。…結局、中野さんはナッちゃんに魅了されつづけたと考えるべきなのだろう。言葉で説明する気も失せるというほど、なっちゃんのつまらない俗物性というか浅はかさが強調されているようで、たぶんここにはそれこそ文字で表現できない要素、ナッちゃんという女性についての、説明可能な言語から毀れるような何かが、書かれてはいないが、存在しないとはいえない形で、あらわれているのだと思う。

おそらくナッちゃんは、中野さんを理解しようともせず、必要ともしていない、彼女の日常で、理解や好悪の範疇外にいる交遊の相手の一人として中野さんを認識し、そのことに平然としている。そのように中野さんには見えるのだ。中野さんはナッちゃんをわかっているし、ある意味で見限ってもいるのだが、ナッちゃんは中野さんをわかろうとしない。なぜこの女性は、この私に価値を見出さず、すなわちこの私に"あなたの欲望"をあらわさず、私に対して「謎」のままでいられるのか、その理由がわからない。そんな女性は彼にとって、巨大な「謎」である。

おそらく中野さんにとって、中野さん自身の意識や感覚からこぼれ落ちる最大の謎としてナッちゃんはいる。そのひとが自分にとって最も不可解で謎な相手だからこそ、中野さんはナッちゃんに強く魅了され続けている。