静寂不動

昨日に引き続き、職場は今日もばたばた。夜になり会社を出て、強い風に身体を押し戻されそうになる。身体を前倒しにして歩くと、コートがふくらんで飛ばされそうになる。寒くはない。空気の、肌へのあたりがやわらかい。電車の混み具合はいつもの通りで、飲み屋街の人入りも通りの様子もとくに変化は感じられない。まるでフィッシュマンズ「まるで魚になった気分だよ、まるで水槽の中の魚、まるで泳がない魚」だ。

 

あの河をさかのぼるのは、世界の一番初めの時代へ戻るのに似ていた。地上で植物が氾濫し、巨大な樹木が王者として君臨していた時代のことだ。がらんと広い河面、大いなる沈黙、入り込めそうにない密林。大気は熱く、ねっとりと濃く、重く、澱んでいた。陽の輝きには歓びがなかった。物の影一つない河の流れは長く延びて、遠い陰鬱な暗がりの中へと入り込んでいた。銀色の砂州では河馬と鰐が並んで日光浴をしていた。河幅がだんだん広くなり、草木の生い茂る島がいくつも現われた。あの河では砂漠にいる時のように道に迷ってしまうことがある。一日中何度も浅瀬に船底をぶつけながら、とるべき水路を見つけようとするうちに、自分は魔法にかかり、なじみのあるものすべてから永遠に切り離され---どこか---うんと遠くの---別の世界へ来てしまったように思う。誰でもときどき、わが身を振り返る暇などない時に、昔の記憶が甦ることがあるが、この時の俺にもそれが起きた。過去は不安に満ちてざわつく夢の形をとり、植物と水と沈黙のこの異様な世界の圧倒的な生なましさの只中で、驚異の念とともに憶い出されたのだった。この生命の静まりは、安らぎとはまるで似ていない。何をたくらんでいるのか窺い知れない情け容赦のない力がたれこめている、静寂不動の世界だ。それは復讐心に満ちた顔でこちらをじっと見つめている。だがしばらくすると俺は慣れた。もうそれが眼に入らなくなった。気にしている暇がなくなった。河の行く手に気をつけていなければならなかったからだ。浅瀬のしるしを見つけるのは、大抵直感が頼りだった。沈んでいる大石にも用心した。陰険な沈み木をまぐれでよけられた時は、心臓が口から飛び出さないようぐっと歯を食いしばる、という技も見につけた。安い造りの蒸気船の腹がばりばり避ければ、巡礼の連中は全員溺れ死んでいただろう。岸辺に眼を配って枯れ木がありそうな場所を探すのも、俺の仕事の一つだった。翌日の罐焚き用の薪を夜のうちに切り出しておかなくちゃいけないからね。そういう表面的な日常の雑事にかまけていると、物事の本質が---いいかい、本質がだよ---見えなくなってしまうんだ。深い真実が隠されてしまう---まあ、隠されたほうが幸いだろうがね。それでも俺は感じたよ。謎めいた静寂不動の世界が、猿の芸当みたいな俺の仕事ぶりをじっと見ているのをしょっちゅう感じた。

(闇の奥)