トラブルシュート

朝一でけっこう深刻な感じのトラブルが生じて、しかし蓋を開けたら大したこともなく収束したのだが、一瞬だけ、なかなか久しぶりの緊迫感だった。ヤバい瞬間に向き合うのは誰だって嫌だし、僕だって人一倍嫌だが、この仕事をやってるとどうしてもそういう瞬間は避けられないので、いざそうなったら腹をくくって対処モードになるしかないし、そういう態度でいないと周囲の人の安心感や信頼感をいたずらに損ねてしまう。その態度には多少の演技も入るのだが、いま対処してます、こちらには手立てがあります、想定内の手順にしたがっています、という態度で、落ち着いて素早くやる。少なくとも緊張や不安や恐れの態度を過度に出さないことが重要である。(ほんとうに手詰まりで、原因が捕まえられず、方針も見えず、見通しも立たない状況だったら話は別で、それならそれで、また別のモードにチェンジする必要があるが…ああ3.11の東電、あの憂鬱…)かたわらの担当者の声がけっこう上ずってしまっていたり、表情がこわばっていて頬が軽く引き攣ってしまっていたりすると、そういう相手を見ると僕はなぜか、かえって落ち着いてくるところがある。「こんなこと今まで一度もなかったですよ!」と身の潔白を証明しようとするかのようになんども連呼する相手に「まあ、大抵のトラブルははじめてやって来るものだと思いますよ…」などと、わざと普通の声で返したりする。そんなときには、あの日航機墜落で残されたボイス・レコーダーの声を、よく思い出す。ほんとうに追い詰められたときって、ああだよな…。と、こういうときに、本当に何度でも思い出す。保守・運用の人間なら、だれでもそう思うのではないか。まあ、僕が関わるトラブルなんてほとんどトラブルの範疇に入らなくて、かの航空機墜落事故を引き合いに出すなんて浅はかというか、身の程知らずなこととは思うが、でもそれが何であれ、何かの「中」にいてそれを保全する人間としては、何かが何であれ、それなりの不安と緊張感はある。嫌な、逃げ出したいような、胸の奥のもやもやを常にかかえている仕事だとも言えるが、それも慣れてしまえば何にせよどうにでも、というところもあって、それでたまに、そういうことを思い出させるような出来事があると、かえって何となく、制約でかんじがらめに拘束された身体の内側で、全身の血流がやけに躍動的になったような、心身が活性したかのような錯覚をおぼえることもある。