誰もいない

海、誰もいない。誰もいない場所へ、天蓋のような空の下へ…

 

日ノ丸掲ゲタル船団二遭遇ス 数隻ノ小輸送船団ナリ
何処ヨリ還リキタルルヤ ワガ編隊ノウチヲ縫ッテスレチガウ
霞ム船影、疲レ果テシ船脚 痛マシキ彼ラガ労苦ヲ想ウ
内地ヨウヤク間近シ ココニ辿リ着クマデニ払ワレタル犠牲ヤ、如何ニ
「大和」二向イ発信シキタル「御成功祈ル」微笑、艦橋に溢ル
カノ瀕死ノ老船団ヨリ、餞別ノ辞ヲ受ケントハ 直チニ返信 「ワレ期待ニ背カザルベシ」
過ギ行ク船ノ甲板上二、我ラヲ見送ル兵ノ姿ヲ見ズ 日本最後の艦隊出撃二遭遇スルモ、ナオ船倉に屏息セルナリ
遂二内地ヲ目睫ノ間二望ミシ彼ラガ安堵ノ、並々ナラヌヲ想ウ
薄レ行ク船影ヲ見送ル艦隊各艦ノ眼、眼 忘我二誘ウマデ二生々シキ寂寥感

戦艦大和ノ最期」

 

何が書かれているわけでもない、単なるエピソードに過ぎないが、思わず本から目を上げて嘆息する。そういう個所はこの本ではここだけに限らないのだが「この目で見た、ほんとうにそうだった」感じがありありと伝わってくる、凄い文だと思う。それが事実だったか否かとはまた別のこととして、確かに伝わってくるものがある。

「霞ム船影、疲レ果テシ船脚」数隻の輸送船団が、くたびれ果てた姿で、まるで敗残兵のように、海原を進みゆくのが見える。その姿に「痛マシキ彼ラガ労苦ヲ想ウ」「ココニ辿リ着クマデニ払ワレタル犠牲ヤ、如何ニ」と思わずにはいられぬほど無残な姿だ。しかしその無残の船団から、信号が送信される。「御成功祈ル」の伝文を送られた戦艦大和の艦橋内から、微笑のやわらかい暖気のようなものがかすかに立ち上がってくる。健気さと、痛ましさと、ほんのわずかな可笑しみ、それはこの筆者を含むその場にいた全員からふと立ち昇った、と書き手には確かに感じられたものだ。

小船団の甲板上には人影もなく、筆者はまたしても「彼ラガ安堵ノ、並々ナラヌヲ想ウ」そして消え行く船影を見つめながら「忘我二誘ウマデ二生々シキ寂寥感」を筆者を含めた大和乗組員全員の「眼」に共通な思いとして、感じる。

その安堵や寂寥感を、生還した者と死に行く者の立場が交差して…などと解釈する必要など一切ない。そんなことはどうでもいいことで、ここに感じ取りたいのはここに書かれていることだけだ。「霞ム船影、疲レ果テシ船脚」「御成功祈ル」そして消えゆく船影、その一連の出来事が書かれているだけ、それだけのことが、あまりにも出来過ぎた奇跡のように思える。嘘みたいな話だから奇跡なのではなくて、あまりにも真実だから奇跡なのだ。