U-NEXTでハワード・ホークス三つ数えろ」(1946年)を観る。が、出てくる登場人物の名前が多すぎで、一度観た状態では、少なくともここに感想を書けるほど、出来事のすべてをおぼえきれてない。その状態で強引に感想を書くのも、それはそれで面白いのかもしれないけど結局、二回観た。二度目だとさすがに、かなりわかる。

で、「わかる」ことで、この作品の内実というか面白味が「わかる」ことではないというのも理解できる。わかるよりは、ただ流れに乗せることが目論まれてる。中盤にきて、運転手、ガイガー、ブロディーが皆死んでしまい、いったんすべてが解決したかのように見えてからの、マーロウひとりだけ、更なる真相にこだわり、さらに闇深いところへ物語が進んでいく過程こそが、この映画の実態であるだろう。

なんというか、予想外の、なるほどそう来たか的な、驚きを楽しませる物語ではない。ひたすら複雑化する人物パズルの紐解きを丹念に味わう物語ではあるが。

それにしても、ややこしい。スターンウッド家の老父と長女ビビアンに次女カルメンはまあいい。事件に関係するリーガン、ガイガー、ブロディーの名前は、名前だけでかなり早い段階から示されていて、そいつらのことをも気に留めつつ、最初のガイガー死体発見の場面にまで繋げていけるなら、まず第一関門は無事通過という感じだ。

この件に次女カルメンがどう関与してるのか、カメラのフィルムは誰が持ってるのかに関心を引っ張られながら、追加でスターンウッド家の運転手が車ごと死ぬ事件が起きる。出来事過多で、観てるのもかなり高負荷になる。

写真が同封された脅迫状が、後日長女ビビアンのもとへ届く。ふむ、そうですか。とにかく見て蓄えた手持ちのカードを確かめながら先を観る。(未登場の)死んだ運転手が次女カルメンにつきまとってたということと、(未登場の)リーガンが(未登場の)マースの奥さんと不倫してたということを、きちんとおぼえておきつつ、更なる展開を受け入れるこころの準備をしよう…となる。

いや、ビビアンはあきらかに怪しいわけで、殺されるブロディーの部屋には、古書店の女とさらにビビアンまでいるし、マーロウがついにマースの妻を見つけ出したとき、その部屋にもビビアンがいる。彼女はつねに「敵」の陣営にいて、物語の進展で「敵」の人物が入れ替わっていっても、彼女は「最新の敵」と常に共にいる。しかもビビアンは、事の真相を追及しようとするマーロウを常に牽制し、手を引いてほしいと懇願する、彼を愛しているとも言い、だからこそなのかもしれないが、なにしろ観てる我々にとって「彼女もグルでは?」の疑いは晴れないままなのだが、真相は終盤に判明する。これこそが本作のもっとも効果的な、語りの上でのトリックだろう。

男と女というだけで、いくらでも怪しくなるのだ。ビビアンとマーロウは惹かれ合っている。それは本作の主軸にある。が、同時にその想像にはまったく根拠が与えられない。ぐっと寄ったカメラが二人のキスシーンを捉えるからと言っても、彼女の本心をそれが証明するとは思えない。ビビアンとマースが、あるいは妹のカルメンがマースと通じ合っていたとしても、まったく不思議ではない(そういうプロットもまったく不可能ではない…)だろう。少なくともマースは、リーガンと恋仲であるらしい自分の奥さんにまったく無頓着に見えるのだからなおさらだ。

物語は後半に差し掛かり、やや陰惨な雰囲気を増す。ハリー・ジョーンズなる人物がマーロウに情報を売りに来て、その過程で彼は残虐な服毒死を強いられることになる。ハリー・ジョーンズを死に追いやったのは、マースの手下カニーノ。いよいよ冷血な真正の「敵」があらわれたとの気配が漂う。ビビアンの支援もあり、間一髪でカニーノを銃殺したマーロウは、そのままラスボスのマースとの一騎打ちの場面を迎える。

この対決をマーロウが制して、これまでのグダグダにもつれまくったエピソードのすべてを、死んだマースにおっ被せることができた。物語は足早にエンドクレジットを迎え入れる。いや、しかしここまで来なければ、すべてはこうならなかったのだから、やはり大手柄だ。マーロウ、あなたは最高よとか言われるのも、よくわかる。なにしろこれで、全部片付いたのだ、冒頭からいっぱい出てきた人物間のさまざまな出来事も、これですべておさまるべき場所におさまったのだ。

しかも、これで良かった!と思えるのは、この映画を一度観ただけでも充分に可能だ。ということが二回観てようやくわかったので、やはりこれで良かったのだ。