お話

すべての仕事の面倒事がいっせいに降りかかってきたかのような一日だった。心身共に、くたくたになって帰宅。妻に「すべての面倒事がいっせいに降りかかってきたかのような一日だった」と言った。しかしいつものことだがそれ以上細かく具体的な話はしない。というか出来ない。僕の場合、自分が面白くないと思う話を、相手に話す気力が湧かない。自分の話を、自分の内側から出た生の何かとして出力することにどこか抵抗感がある。「本当に疲れる」とか「こころから嫌だ」とか、そういうことを言わないわけではないけど、そういうときのセリフと態度には、ある種の「型」を用いているという意識がどこかにある。心から嫌だし、心から疲れるのだが、それを表現するときの手段は、結局借り物でしかないのだと諦めている感じかもしれない。やはり相手に何か話をするときには、あらかじめ頭の中にある「こんな導入、こんな流れ、結論はこれ」の中に、どこかしら面白味というか、そこに相手が何かしら反応してくれるのでは…という期待をもちたくて、そういう要素のはじめからない話をする意義を見いだせない。もし細部をちょっと変えたら、それが面白くなるのであれば、変えてしまうこともやぶさかではない。でもそんな自分が面白いと思って話す話を、相手が常に面白いと思ってくれるわけではないし、面白くないだろう話が意外とそうではないかもしれない。僕の場合はとくにそうで、そういう語りの才能が豊かなわけではない。だから余計に自重しておきたいと思う部分もあるかもしれない。