93~94

ニルバーナの「In Utero」は、いまいちぴんと来なかったが、スマッシング・パンプキンズの「Siamese Dream」はとても気に入った。小沢健二がアレステッド・デヴェロップメントの「Zingalamaduni」を、奥田民生ジェリーフィッシュの「Spilt Milk」を推していた。共に素晴らしいアルバムだった。60年代ロックのリイシューか海賊版ばかり集めては聴く毎日にそろそろ飽きてきた頃で、新しい音楽というだけで新鮮に感じたし、それらは単純にものすごく音が良かった。「No Alternative」というコンピレーションを聴いて、はじめてまともに聴いたビースティーボーイズ「The New Style」の5分足らずのライブ音源と、翌年のアルバム「i'll communication」に衝撃を受けた。ジェフ・バックリーの「Grace」は過剰にやかましいアレンジにやや抵抗を感じたが、すぐに夢中になった。当時のラジオはほぼ全てTLCの「Crazy Sexy Cool」でうんざりだった(が、数年経ってから死ぬほど好きになる)。オアシスもレディオヘッドもブラーも物足りなくて、Woodstock 94に収録されたプライマス「Those Damned Blue Collar Tweekers」を聴いたときは興奮したが、その後聴いたアルバムはどれも期待外れだった。イギリスよりもアメリカの方が面白いはずだと見込んでいたが、確信はなかったし、確信させてくれるほどの当たりも引いてなかった。すでに1995年初冬になっていたが、なぜか当時やけにベック「Mellow Gold」の感触に記憶が固まっている。はじめての海外旅行でニューヨークへ行って、ホテルのテレビをつけるとウィーザーの「Buddy Holly」ばかりローテーションしていた。HMVでなぜかthe Byrdsのベスト盤を買った。