メールの受診箱を掃除していて、amazonからのDMを見ていたらブラッド・メルドーの新譜が出るという話だった。ブラッド・メルドーは、僕はそんなに熱心には聴いていない。妻がわりと好きなので、たぶんほとんどのアルバムが家にあると思うが、僕自身はそれほど聴きこんでないという認識だ。良いとか悪いとか云う以前に、どうもよくわからないというか、まあ、これを今きちんと聴こうという気持ちに、なかなかならない、という思いのまま、もう何年も経ってしまった。ライブ盤だと、あの曲をどうやって解釈してるのか、みたいな興味で、たまに引っ張りだして聴きたくなることはあるのだが、ブラッド・メルドーそのものを聴きたいとは、なかなか思わないという感じ。レコードも買うしライブも行ったことあるのに、常に、あまり自分に近い領域にいてくれるミュージシャン、という気がしない。


ところでそのブラッド・メルドーの今回出るレコードでは、ピアノではなくてシンセとフェンダー・ローズを弾いていて、ドラムとのデュオ作品らしい。それでも、へえ、だから?という感じで、とくにスルーでいいんじゃないと思っていたのだけれど、youtubeで収録曲にもなるらしい演奏をみてみたら、とりあえずドラムが、これはたしかに傾聴に値する、とりあえず、お!っと思うようなものだった。



ドラマーの名前はマーク・ジュリアナ。早速ネットで色々と調べる。とりあえず、下記の演奏を見れば、その特徴はおおよそつかめる。マーク・ジュリアナの演奏を聴いて誰もが感じるのは、これははっきりと新しい音楽を聴いてそれをバックグラウンドにしているドラマーだということだろう。プレイ・スタイルの下地にあるものが、はっきりと新しい。楽器の演奏というのは、電子楽器でもアコースティックでもなんでもそうだが、結局は人間の身体的な運動の癖とか動作条件とか、その頭の中の、過去の記憶から呼び出されるパターンを手動に置き換えた場合のバリエーションとか、基本はそういうものの矢継ぎ早な繰り返しで構成される。だから、上手いとか下手とかそういうこと以前に、大体はまあこんなものだろうという、ある程度の予想がつくのが普通だ。しかし、その予想を裏切られるときがあって、うわーなにこれ、こんなのは初めて聴いたぞ?と思わせるようなものが、ごくたまにある。マーク・ジュリアナの演奏は久しぶりの、そういうものであると言える。



まず、今まであたりまえのようにエレクトリック・サウンドを聴いてきた人間の、記憶から醸成されるタイム感および音の質感に対する感受性をもっていることが、明確に伝わってくる。「音色を聴かせる」ドラムというのは昔からあるけど、音色という、単純な要素のように思えるものも、実際はその時代のそのシーンによって事後的につくられた複合的なもので、マーク・ジュリアナのやってることはまず、その時代による変遷みたいなものをあらわにしてしまうような作用がある。プレイスタイルそのものは昔からのジャズドラマーとさほど変わらないのに、醸し出す何かだけで、途方も無く別の場所から行為しているような結果になってしまっている。ほんとうにおもしろい演奏は大抵そうだが、あー、やってしまった、というような、取り返しのつかない感、受け入れるしかない感を感じさせる。また当然ながら、リズムやグルーブに対する感覚も違う。今までと違うのではなく、今までの一部の何かが刷新されてしまっている。それだけで、やはり何か取り返しのつかない事になってしまったような感じを受ける。


僕は今までそれほど真剣にきちんと音楽を聴いてきたとは、とても言えないので、あるミュージシャンがどのくらい凄いのかを客観的に言える力は無いので、ただの個人的な感想に過ぎないのは言うまでもないが、マーク・ジュリアナの衝撃からすぐに思い出したのは、90年代前半あたりの、ビースティーボーイズ関連がきわめてエッジが効いていた時代にあらわれた、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンのドラマー、ラッセル・シミンズである。ジョン・スペの「Flavor」のドラミングを初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れられない。これも完全に、サンプラーとかシークエンスパターンをループさせた音楽を、今までさんざん聴いたきた人間が、その記憶をもとに、あらためて演奏するドラムであり、その激しい不可逆性に、強烈な緊張を感じさせられたものであった。とにかく何か、新しいことが実現してしまったという驚き。



まあ、ドラムというのは、というか楽器はみんなそうだが、電子音から逆照射されて、人力ドラムンベースをやったり、そういうのはじつはよくある話で、だから僕の上記で言ってることもけっこう怪しくて、一歩間違うと単なるバカテク技巧派のかくし芸みたいなものにまで簡単に堕してしまう危険もある。とりあえず、正直なところ、マーク・ジュリアナ本人のソロ作品に、それほどの面白さは感じない。というか、技巧派が陥りがちな、つまらないところに行ってしまっているような気もしないでもないのだがどうなのか…。しかしそのソロ作品、共同プロデュースがミシェル・ンデゲオチェロなのか。。でもさすがにこれはちょっと、手を出す気にはならなかったけど…。というか、ンデゲオチェロの最新アルバムも買ってないけど。


などと、そんなことをぐだぐだと思いながら、今日の午後はひたすらyoutubeを連続稼動させているうちに終わる。とりあえず冒頭に話を戻すと、マーク・ジュリアナの録音でとりあえず入手すべきブツとして、今回のブラッド・メルドー新作は要チェックということになった。そのほかには、グレッチェン・パーラトという女性ボーカルの「Live in NYC」というアルバム。まずこれは、おそらくとてつもなく素晴らしい予感がする。というか、いや実際、ことの成り行きで、これは今ちょうどいい。まるで70年代のJAZZモードなジョニミッチェル的な、ゴツゴツの技巧派を従えた女性ボーカルの、相当期待のもてる感じで、まあ午後のグダグダした時間のなかでマーク・ジュリアナを探しながら実質はこの女性のディスコグラフィーをごそごそと探っていた。ちょうど一年前くらいに、来日していたらしい。そうなのか、そういうことをそのときに気付いて、あ、これは行くべきと思えないまま、こうして漫然と過ごしているのだから、まったく情報化社会を生きていますとは恥ずかしくて口が裂けても言えないという話だが、よくよく考えるとジャズなんてまったく、いやたまに聴いてはいるけど情報をとろうなんてまったく思ってないなあと、久々にべったりとインターネットで探し物をしていてあらためて思った。


それにしても、グレッチェン・パーラト。なかなか魅力的。下の動画は、最初はマーク・ジュリアナのドラムソロで、これも素晴らしい、というか、ほとんど変態的というか、前代未聞のドラムだと思う。。異常と云ってさしつかえない。で後半、曲に戻っていく。いいわこれ。現代ジャズ。こういう空気感すごい久しぶり。一年前に、青山ブルーノートに来てたなんて…今更知って、かなり後悔の気持ちが高まってくる。



で、大体これで思ったことを全部書いたのだろうか。ブラウザのタブがやたらといっぱい開いていて、どれをもう閉じてしまっていいのかわからない。あとamazonはこれで注文確定でいいのか、もう一考するかどうするのか。…蛇足だが、amazonでグダグダ買い物するのは、どうして休日最終日とかが多くて、そうすると商品到着は早くても翌日とかで、翌日は仕事で、どうぜ素直に受取れないから、なぜ人間はamazonでグダグダ買い物するのを、休日前夜とか前々夜とかにできないのか?という問題を、ちゃんと考察しようとは、誰も思わないのだろうか。