先週アマゾンからグレッチェン・パーラトのライブ盤が届いて以来、毎日くりかえし聴いている。聴ける時間のあるときは、とにかく聴く。何度も何度も聴いて数日が経ち、これだけ繰り返し聴くと、どんな音楽であろうが、さすがに飽きるが、それでもまたすぐに聴きたくなって、再び聴くと、これがまたぐっと良くなってくる。聴いてないときは、頭の片隅で音楽の記憶の断片が繰り返し鳴り続けている。ほとんど、依存症に近い。じっさい、後でまたあれを聴こうと思うときの期待感は、後でまた酒を飲もうと思うときの気分と、ほとんどかわらない。アルバムジャケットやCDのディスク表面の赤い色を見ただけで何かムラムラとするものがある。
これだけ聴いても、まだ「この箇所がいい」とか「こういう部分がいい」と簡単に言えない。まだまだものすごくスリリングな、水が激しく雪崩れ落ちてくるようなものとしてしか聴こえてこない。グレッチェン・パーラトのボーカルそのものが、未だかつて無いようなもの、というわけでは全然ないのだが、なんというか、全体のなかでの、あの位置付けの絶妙さというのか、全体をリードしているようでもあり、全体に翻弄されぐちゃぐちゃにされているようでもありの、なんとも不思議なはかなさを醸し出しており、そして叙情的で情熱的なテイラー・アイグスティのピアノに胸が熱くなり、マーク・ジュリアナおよびケンドリック・スコットの確信に満ちたドラムに呆然とさせられて、強引にあっちの世界まで吹っ飛ばされてしまう。
もし今年中に、これに匹敵するレコードに出会えたらそれはかなりの奇跡だ。