待つ時間

ちょうど一年前、病院の待合室で妻を待っていた。ただ待つだけ、それしか出来ない、そういう時間が、たまに訪れる。ふだん仕事しているときや、休日を過ごしているときとは異質な時間で、しかし異質であること以外には何の特徴もない、ぶっきらぼうで、味も素っ気もない、ただそのままの時間だ。病院で待つ、あるいは乗り物の発車時刻まで待つ、あるいは目的地に着くまでの時間を客席で待つ、その場でしばらくお待ちいただけますかと言われて待つ、そういう、待つ時間。そんなときに、あるいは今こっちの方が、言葉の意味においてほんとうの時間であって、ふだんは単にそれを忘れているだけじゃないのか、ほんとうはこういう時間を許される限りじっと見つめていることの方が、自分にも本来分け与えられているのかもしれない何かについて、たしかめるのに適当なんじゃないか、そんな疑いが、ぼんやりとした不安のようにわきあがってくるような時間だ。