大昔の記憶だ。たぶん低学年、あるいは小学校入学前かもしれない、だとすれば70年代半ばから後半あたりか。
自宅を出て坂道をあがったすぐ左手に、小さな家があった。今の感覚からすると、驚くほど狭小な住居だ。木造平屋建の、中を見なくても外観だけでおよそ間取りが想像できる、おそらく二間とかに小さな台所が付いてるような。当時はアパートやマンションも増えてきたけど、一方でまだそういう昔ながらの賃貸家屋がたくさんあった。昭和のイメージというのは何よりもまずあの狭小さ、当時の人間を取り囲む空間の小ささにある気がする。
そんな住居には大抵、若い夫婦が住んでいた。もちろん当時の自分から見たら、彼らは若い夫婦というより、自分の両親と同じような他所のおじさんとおばさんで、他人の家庭で、別の家の、別の子の、別の顔をした母親がいる、別の家だった。赤ちゃんの泣く声が、家の外まで聴こえてくる、あるいは朝の支度をぐずぐずしてる子供を叱る母親の金切り声が、外まで聴こえてくるような感じだ。
で、坂道をあがったすぐ左手の小さな家だが、その家には珍しいことに若い男性の二人暮らしだった。そして家の前のスペースには、鮮やかなレモンイエローの車体をもつ小さな自動車が止まっていた。
彼らがそこで二人で暮らしている理由というか目的は子供の僕にも何となく理解できた。おそらく彼らは自動車が好きで、その黄色い自動車を日夜いじくり回して暮らしている、それだけが楽しみで生きている二人なのだろうと想像した。車の周囲の未舗装の地面には黒々として光沢を放つ油がやたら点々と落ちていたし、玄関先には工具や部品類がまるで小さな自動車整備工場のように独特の匂いを放ちつつ汚れにまみれて積まれていた。
その家の前を通り掛かるたび、黄色い自動車のさまざまな姿を見ることが出来た。ときにはジャッキに支えられて前方のタイヤが外されていたし、ときには左右後部のドアすべてが解放されて運転席の様子がよく見えたし、ときにはエンジンがまるごと取り外されてボンネットの中が空っぽになってることもあった。
二人が、あるいは一人がじっと作業中のときもあった。油にまみれた部品をどこかへ取り付けようとしているのか、その場に俯いて座っている後ろ姿を見ながらその場を通り過ぎた。あるいはエンジンの空吹かしされる音が、何かを確かめるみたいにくりかえし聴こえることもあった。
あるとき、黄色い車が二人の若者を乗せて、坂道をのっそりとした速度で下ろうとしているのを見かけた。その車は、車とは思えないような緩慢な速度で、しかもまったくの無音で、少しずつ坂を下った。その直後おどろくべきことに、出し抜けにぼん!という破裂音音を、あたりに響かせた。嗅いだことのない匂いがあたりに漂い、車の上にうっすらと白い煙がたちのぼった。そのまま何事も無かったかのように、車は静かに下り坂を進み、その先の田んぼに囲まれた道をゆっくりと走り続け、やがて見えなくなった。
あの頃はああして、自家用車のエンジンを自力で取りはずしたりも出来たということか。よく知らないけど、ああいう行為は、今では考えられないのではないか。
あの頃は、夕方になると、田んぼに向かってトランペットの練習をする男もいた。彼は車の若者らとは別の人物だったと思う。あれが聴こえてくると夕方だとわかるのだった、いや、むしろあの音が夕方の音そのものだった。それはひどく耳ざわりでたどたどしくて、子供の耳にも不快なものだった。トランペットの音に対するほんのわずかな嫌悪の感覚、何か人を苛つかせるモタモタしたドン臭さの印象を、今でもかすかに想起させることがあるとしたら、おそらくそのとき自分の記憶域に植え付けられてしまったものが、未だに残存しているがゆえだろう。