アンサンブル

いつも荒川の河川敷に沿って千住新橋まですすんで、橋を渡ると図書館に到着するのだが、その川沿いには散歩する人や自転車に乗る人や走る人や犬の散歩や野球する人やそれを見る人たちや凧だのラジコンだのドローンだの飛ばしたりする人たちなどたくさんいて、それぞれ思い思いに過ごしている。もちろんなかには楽器の練習をしてる人もいる。

さいきんよく見かけるのは、ひとりコンガを叩いてる人で、ただし人の賑わいからはかなり距離を隔てた場所、背の高い茂みの向うに隠れるようにしてつつましく練習している。ポリリズミックなリズムがどこか遠くから、えんえんと果てしなく続く感じで聴こえてくる。

それを聴きつつさらに歩いていくと、今度はソプラノサックスのような、もっと民族楽器的なような、何かの管楽器の音が、やはり茂みの奥の隠れ地帯みたいな場所から、どこか遠くのほうで鳴ってる音みたいな感じで聴こえてくる。ちょっとインド的な、浮遊感があって漂うような旋律が切れ目なく湧き出しては、空気中に溶け流れていくかのようだ。

この管楽器の音と、さっきのコンガのリズムが、どちらもかすかな音量ながらわりと相性が良いというかかすかにアンサンブルが成立してるように聴こえなくもないのだが、しかし両演奏者がお互いを意識して、その音を聴いて合奏しているわけではないはず。なぜなら、両者の距離はあまりにも離れすぎているからだ。

とはいえもしかすると、お互いの音がかすかに聴こえている、その意識はあるのかもしれないが、それぞれ個人練習しているのだから、あくまでもその隔たりを保つこと、その意識をもって彼らは彼らの場所にいる、そんな感じもする。だからこそ、あの距離感なのだろう。

しかし、かすかに互いの音が聴こえてしまう以上、それを完全に無視したまま、自分の個人練習に閉じて耽ることもまた難しいのではないか。それぞれ別個に個人練習しているだけの二人でもあり、たまたま遠くに聴こえてくるお互いの音を無視するでもない、しかし、いきなりアンサンブルを構成してしまうのはひとまず遠慮しておく、そこはいったん配慮しようと。

でも、それを完全に無視するのもおかしいではないか。今いちばん適当なバランスはどれか。それを探りながらの、ちょうどいい中間のところを求めながらの、コミュニケーションの寸止めをひたすら試みつづける二つの音。