大浴場

久々に大浴場に行きたいと思って、前にも行ったことのある風呂屋のウェブサイトで行き方を調べたら、タクシーに乗って五分くらいとおそろしく端的な文章が掲載されていたので、それにしたがって駅前から向かった。平日の四時頃、思ったよりも客はいるように思われた。屋内に仕切られたいくつかの浴槽があり、洗い場があり、開いた扉の先は外で露店風呂があり、そこの風呂もいくつかに仕切られている。そのどれにも人がいた。年寄りばかりかと思ったがそうでもない。たしかに年寄りは多いがそれだけではない、たぶん自分と同年代もふつうにいる。当たり前だが誰もがカレンダー通りに働いたり休んだりしてるわけではない。人それぞれで、平日の午後風呂に入ってる人もこれだけたくさんいる。ただし自分よりも若そうな人間はあまり見かけなかったと思う。これは自分から見た印象なので正確かどうかはわからない。自分にはそう見えた。周囲を見渡してそう思ったのだ、平日のこの時間とはいえ、老若男女がいるのだなと、そう思って、あれ、そういえば、なぜか女はぜんぜん見かけないなとも思った。そのあと少しして、男湯に女がいるわけがない、それに気づくまでに時間を要していること自体が、我ながらすごいと思って、そのことをしばらく心の中に反芻して面白がっていた。

サウナは段々に四つくらいの段階があって、低い位置より高い位置の方が温度は高いのだが、それらの座席に客が思い思いに、適当な場所に座っている。テレビがコロナ関連のニュースを放送する音が響くサウナ室内で、皆が黙って無言でじっと、何かに耐えるようにうつむいている。それでもあらたに人が入ってくると、ああどうもー、こんにちわーと、周囲で挨拶を交わしている。皆、常連同士の顔見知りなのだ。ここにいる人たちのほとんどが、おそらくそうなのだろう。やはり平日のこの時間にサウナに来るというのは、そりゃそうかと思う。しかしいかにも常連同士な馴合い感や気を許した感は、ほとんど感じられない、誰もがつつましくて、お互いに気遣っていて、きちんとした、距離感保った、マナー重視な、相互共同体的規律感を感じる。すごく意外というか、おもしろい場所に入り込んでしまった感じだった。ご近所の常連客だけが集まる居酒屋に、間違って一人で入ってしまったかのような感じがあった。でも、このあたりの街の雰囲気が、これなんだなあとも思った。文字通り、肌で感じられるものがあった。部外者としての立場さえ守れれば、面倒くささとかとっつきづらさはたぶんなくて、どちらかというと退屈さに近いもので積みあがっている何かに、軽く触れながらやり取りしつつやり過ごす感じで凌げるのだろうと、そういうのに付き合っていく必要も、時と場合によってはあるだろうなとも思う何かだった。