経験の交換

だれもが、最初の経験とそれ以降の経験、という順序から自由ではない。経験は必ず比較される。たとえば一九六〇年という年月を示す言葉があり、そこに固定された意味はないが、ある人にとってそれは最初の経験であり、別の人にとってそれはかつての反復である。また、誰にとっても最初の経験は最初の一回だけだが、それ以降のすべては反復である。だから自分にとって最初の一回目はかけがえのない、取り換えのきかない経験であるが、それが自分に固有の感覚で他人とは共有できないということ、また他人も自分とは無関係な何かを最初の一回目として認識し、それを自らの条件に設定しているであろうことを想像できる。つまり私の一回目の経験と、誰かの一回目の経験は、相互に関係なくそれゆえに任意の交換が可能であるはずだ。その交換の可能性を探るのが、過去の書物を読むことのモチベーションにはなるのだろうと思う。それは一九六〇年を過ごした人物にとっての七〇年代が、自分にとっての〇〇年代と同質だったとか、したがって自分も〇〇年代生まれの人間と同質の何かをかつて経験したのかもしれないとか、そういう想像の可能性のなかをさまようことでもある。