さすがに休日出勤感百パーセントな一日。月曜や火曜時点ではそこまで思わなかったのだが、さすがに今日だと電車までが休日ダイヤだし、臨時通用口からしか会社に入れないし、出勤者も数えるほどしかいないし、その数えるほどの人たちさえやることが限られていて手持無沙汰な様子を隠しようもない状態だったし、電話の音もしないし人の話し声もないし物音自体がほぼない。まるで上演時間が八時間の、観客のない不条理劇みたいな、まさにそこに集う誰もがいやが応もなくモチベーションもなくただその役割を舞台を受動的につとめるしかない、それに皆が黙って耐えているような一日。こういう一日は、たぶん必ず毎年年末に用意されているはずなのだが、なぜかその記憶がなく、今日だけその違和感が妙に生々しく感じられていて、理由はよくわからないのがなおさら不可解だった。そして過ぎゆくものへの名残惜しさとか今年という単位への執着心や愛着を、今時点でほとんど抱えてない自分にもこれまでと違う不思議な違和感をおぼえいた。そういうのは、社交というか常識というか、人前で正装し作法にしたがって礼節の動作を見せるのと同様、これまでは欠かせなかったというか、よいお年をの挨拶を添えるのと似たような意識で、どこかでかならず心に準備されていたものだったはずだけど、今日は今日時点でそれがない。というか、今年という単位で考えられない、その区分に重みを感じてない。その尺度が合わないからもう使わないと早々に決めてた感じがする。理由は謎だが、視力が落ちたみたいにして、その大きさで物事を区切るのがおっくうになってきたという感覚の表現が近いのかも。