ほとりの朔子

深田晃司「ほとりの朔子」(2013年)を観る。今日のNHK紅白歌合戦の司会をしていた二階堂ふみは、すらーっと手足の長いきれいなプロポーションで洗練されたドレスを着こなしていたけれども、本作主演時の役者としてはまだ若干の幼ささえ感じられる雰囲気。夏の光の下で、水着やらノースリーブやらの、おそろしく軽快な、ほとんど裸身に軽く衣類を引っかけただけみたいな服装で、ベッドに寝そべったりソファーにふんぞり返ったりだらだら歩いたり、ほとんど性的な重さをまとう以前のような中性的な身体を、のびのびとカメラの前に晒している。ロメール的と言えば、確かにまさにその通りなのだろう。太陽と空と海、緑と土、木洩れ日と自転車…の世界。誰もが何らかの秘密をもっていて、それは主人公の少女にはっきりとは開示されないが、主人公は自分なりの秘密をはぐくみ、それをもってその場を後にする。それだけの話。インドネシアとかオランダへの言及もあり、設定された世界がその後の「海を駆ける」(2018年)と地続きになっている感もある。「淵に立つ」や「よこがお」とはまるで接点をもたないようにも思える、深田晃司的作品世界の分裂したもう一つの側面ということになるだろうか。