低生産性

昨晩は遅くまで打合せしながらモニタに映る文書を編集していた。その日のうちに、報告書をまとめて提出しなければいけなかったのだ。本来なら全体がある程度かたまった時点で内容をチェックして、挙げた修正箇所を適宜反映させればよいのだろうけど、状況的にも時間的にもそれが不可能なので、三人がこうして一か所に集まって話し合いながらその場で作り上げていくことになった。非効率的なのは重々承知で、今日の帰りはすごく遅くなるだろうということも覚悟のうえで、はじめからあきらめてるというか腹をくくってその打合せに臨んでいる。

文書作成の主担当が書き上げていくものを、自分ともう一人が都度指摘したり補足したりするという役割分担なのだが、自分はあまり発言もせず、最後にぎりぎり辻褄合わせるくらいの指摘度合でいいだろうと思っていた。時間掛かるのは仕方なくて、せめてできるだけ最小限の修正で行きたいと思っていた。あまり多方向から喋り過ぎると散らかって収集つかなくなるし、多少クオリティ低くても全体像見えたら要所だけ整えて緊急版とわりきって出せればよいと。

しかし完成まではそれなりに難航した。主担当は気持ちに焦りがあるので、いつも以上に文章と自分との距離感が近すぎて、語句一つとか言い回し一つくらいの範囲でしか対象が見えてない、その視野狭窄感が、そばにいるとよくわかる。加えなければならないいくつかのキーワードを入れて、かつ全体の論旨を崩さず、展開を整えるという、たぶん落ち着いてるときなら、わけなく出来ることが、この状況で出来なくなってる。一行か二行の文章さえつながらなくなる。小学生の作文みたいにすらなる。そうかこれほどまでに作れなくなるものかと思う。

自分も決して、論理的人間ではないな…と、こういう場にいるとそれがよくわかる。モデルを頭に思い浮かべて、書き込むべき要素を各部分に配置して、連携させて、そこまで設計したら一気に書き上げていくという手順を、必ずしも自分は取らない、というかそういうのが不得意だと思うし、いきあたりばったりにはじめて、あとで体裁をととのえるパターンを昔から好む。緊急時や非常時には適さないタイプだ。こんな余裕のないやり方はいやだねえ…貧すれば鈍するは真実也。できるだけ、日々のゆとりは確保しておきたいものだねと。