雑誌

何十年ぶりになるかわからないが、久々にロッキング・オンの最新号をたまたま手に取って見たら、なんと表紙がジョニ・ミッチェルで、そのほかにピンク・フロイドとか、CSN&Yとか、クラシックばかりの特集が並んでいて、これ、ほんとうにロッキング・オンか?、大判になったレコード・コレクターではないのか?と本気で訝しく思った。

十代~二十代くらいまではロッキング・オンの読者だった。しかしロッキング・オンは新譜中心、ミュージシャンへのインタビューによるアプローチを重視した方針で、それはそれでいいけど自分の場合対象が誰であれインタビューというのは読んでもあまり面白いとは思えないところがあって、あとどうしても過去の音楽に対する研究的な記事情報も読みたくなるので、レコードコレクションと歴史整理的な別の雑誌の方に興味が移ってしまっていつしか読まなくなった。ロッキング・オン特有とも云える自分語り的で思い入れの強い批評スタイルは、自分はとくに嫌だとも思わなかったし、とくに若い頃は、ああいう本気度の高い自意識制御できてない危ういバランスの文章というものに惹かれるところはある。とはいえそれとは別に、ある時期からどう考えても良いとは思えない作品をやたら大仰な美辞麗句で褒めるような傾向が強くなってきた気がしたのと、どう考えても重要な作品を満足に扱えてないところが散見された感じがあったのを記憶している。

今や、音楽にかぎらず雑誌というものをまったく読まなくなってしまったが、文芸誌はたまに読むが、あれは雑誌という括りとはちょっと違う気がする。自分にとって雑誌とは、何人かの気になるライターの書くものを読み続けたくて読むもので、それは情報収集でもあるけど、そのライターのフィルター傾向をより知るということでもある。そもそも音楽を聴くというのが、そのミュージシャンの過去に聴いてきた音楽のフィルター傾向を感じ取るということでもある(そしてそれは、インタビューを読んだだけでわかることではない。インタビューが補足してくれることはあるが)。

ちなみに、特定ライターの仕事を読むのではない情報系雑誌としての雑誌、ブルータスとポパイがあったのでこれも見てみたら、これまた今の自分にはかなり読むのが難しいものに感じられてしまった。こういう情報のまとめかたって、昔っぽいなあと思った。たしかにかつて、こういう感じに慣れ親しんでいたときがあったと思った。でも、つまりそれらが古くなったのではなくて、自分が古くなったのだと思う。最近マンガとかも多少読むのに難儀するところもあるし。

美味しいお店の紹介雑誌なんかも、写真ばっかりやけにキレイなだけだし…というか、写真て昔だったら考えられないくらい、誰もがとてもきれいに撮影することが可能になってしまったと思う。きれいというのは、それこそ雑誌に載ってるようなキレイさのことだが、夜景とか暗い場所とか、ああいう場でそこそこきれいに撮影するって、何十年か前まではけっこう難しいことだった。