修理工場

近所に、某外国メーカーの自動車を専門に扱うお店があって、といってもおそらく販売代理店とかではなく個人経営の修理・整備専門の町工場という感じなのだが、傾向としてややモータースポーツ寄りというか、レース仕様に近い整備を施すのを得意としているようで、ただし暴走族的、違法改造的なものではなくてわりとストイックな、いわゆる「カーエンスー」?っぽい客で成り立ってる感じがする店である。とはいえ自分にはまったく無縁の世界なので、店の前を通りかかったときに、店内や裏手の工場や路上に停車してる車を横目で眺めるくらいだ。

自分は運転免許は持っているのだがすでに運転は出来ないし、自動車全般についてほぼ無知だが、自動車という物体そのものは何となく好きというか、関心がないわけではない。ああして自動車が整備工場のジャッキに持ちあげられているのを、もしずっと見学していても良いなら、わりと飽きずにいつまでも見ていたいし、停車している車のいかにも丁寧に大切にされてる感じを傍から見ているだけでも楽しいと思う。

客の車が、一帯をぐるっと試走で周回することがあって、そういうときは見慣れぬ外車が自らの状態をたしかめるかのように走行しているのを、歩いている歩道から見かけもする。外野の視線で見たときの自動車の挙動、制動のたびに荷重が移動する様子は、それを運転席で運転手が感じ取ってるものが、おもてに裏返されてあらわれたかのように感じられる。うつくしく塗装されたボディの表面と内側に隠れた機構の動作するイメージが想像で重なってあらわれる、自動車の有する固有な身体のようなもの。それを満足行くまで、工場で調整して、試走して、ふたたび工場で調整して、また試走する、その繰り返しの試み自体に惹きつけられる。それは、自分が子供の頃に、いつまでもぼんやりと見ていたかったものと変わってない。昔、近所の修理工場や鉄工所や印刷所の前に居座って、動いている機械をいつまでも見たがる子供だった。働いている人にとって、そういう子供は危ないし仕事の邪魔なので、大抵は短い言葉で叱責されて、犬か猫のように追っ払われた。もし同じことをしたら、今でもきっとそうなるだろう。