山下達郎の八十年代のライブをまとめたアルバム「JOY」収録の「蒼氓」がシャッフルで再生されて、思わず引くほど生々しい八十年代の空気に身を包まれたような錯覚をおぼえた。後半の、客に曲のフレーズを延々とリフレインさせるところ。途中で歌を止めて素の声に戻った山下達郎が「一緒に歌ってください、どうか皆さん、ぜひご協力を…」とわざわざ客にあらかじめお願いして一生懸命に煽って観衆の声を高めようとがんばる、しかし一応リフレインにはなるけど、なんとなく熱が低いというか、言われたからやってる感、歌わせられている感ありな、学校の音楽の時間、先生に歌え歌えとうるさく言われて、仕方なく歌ってる子供みたいな。チープ・トリックの78年武道館とはえらい違いで、それは音楽の種類も観客も時代も違うから。…でもそうだろうか。この天然の消極性、羞恥感覚、場慣れしてない場所では決してリラックスせず楽しさに身をまかせることもない身体感覚。そのくせ、コンサートが終わった後の、電車の中や飲み屋の席では「ほんとうにサイコーだった」とか、顔を上気させて連れに話してるような、精神的な緩急のおとずれかた。そこに八十年代を感じる。なんか自然じゃない、そのアンバランスに自分自身が気付けてない感じ。昔は、なさけなくてカッコ悪かった。昔の若者は、カッコ悪かったし、スーツ着た会社員たちも、カッコ悪かった。女も、のきなみカッコ悪かった。そういう人たちが、揃ってコンサート会場に集っていた、ときには僕もどこかにはいたのかもしれない、八十年代。