昔は、まだ若い娘のときに、女中とか子守としてある家に雇われて、住み込みで働いて、その後結婚したり子供が生まれたりしても、女はひきつづきその家で女中仕事をしながら、雇い主から母屋の脇に住まいをあてがってもらって、夫や子供も一緒に雇い主の敷地内に家族で住み続ける、そういう一家もあった。雇用関係がどうとか家賃がどうとか、そういうことが問題になる時代ではない。母屋の家の子供たちは生みの親と育ての親をもつことになり、そのうち成長して家を出ていって、やがて大人になって帰省すると、すっかり年をとった子守の女も彼を出迎える。

本来他人であり雇われたに過ぎない子守女の方が、自分よりもその家について詳しいし、自分よりもずっと長く住んでいる。家の様々な資産の問題とか親族も含めた人間関係の問題もある程度よくわかっている。そういう他人が昔は、今よりもずっと当たり前のように家の中にいた。現在でも、古くから事業をやってるような昔ながらの富裕層の家庭なら、そういった他人も含めた家族と外縁組織の構成は(別に法人とかではなくても)、継続している家もあるのかもしれないが、そんな例外を除けば、いまや家族という単位は、これ以上ないほど小さくなってシンプルになった。家の維持運用管理の必要もない、子供もいない、子守も女中も使用人もいない。

今なら勤め先の会社でそれなりに費やしている心労の思いが、昔なら家族に対しての心労に重なるところもあっただろうか。会社には正社員がいるし、派遣社員もいるし業務委託社員もいる。構造改革もあって一枚岩の組織性がますます薄まっている。子守女ではないけど、正社員より現場キャリアの長い派遣社員なんてザラにいる。会社なんて所詮皆他人だし、家族的だなんてまっぴらだと思う向きが大半だろうが、家族の「上の方」(家長=経営層)は、そうも言ってられないから色々と考えるし、場合によっては下の者に高圧的に命令もする。その感覚が、昔は家族に対してそのままあてはまったのだろう。

だとすれば、やはりこの先何十年か後には、会社組織も当然解体していき、労働者としての個々人のこれ以上ないほどシンプルな契約関係だけになっていくのだろう(資本家側も資本家のままでありながら、より分散型の構成になっていく)。