枝豆とビールとジュリー

妹から大量に枝豆が届く。鍋一杯の枝豆を茹でて、ビールと供する。

鈴木清順カポネ大いに泣く」(1985年)を観る。田中裕子は、八十年代を象徴する…とあらためて感じた。着物姿がとてもきれい。しかし戦前から戦後にかけて、死んでしまうことは不幸だとも幸福だとも言え、戦後まで生き残るということもまた同様で、そういうことをこの映画は言ってないとは思うが、田中裕子も沢田研二もあっさりと死んでしまい、萩原健一のまるで悪ふざけのような切腹シーンで終幕する。

もし、これを今リメイクしたとしたら、たぶん「浪曲」というものの再現は、より上手くいかないことになるだろうなと思った。萩原健一浪花節は、とくにそれが見事だとか聞かせるとかいうわけではないにしても、それでも今の役者が同じことをしたら、やっぱり上手くは決まらないのじゃないかと。三味線を弾く田中裕子も、やはりなんとなくカッコいいのだ。いや、本作はそういう日本的意匠の厳密さなどまるで気にしてない世界であるのは無論だが、それでも、それゆえに、さすがに三十五年前という時間がそう感じさせるのか。それとも萩原健一が芸達者ということなのか。

藤田敏八リボルバー」(1988年)を観る。八十年代の夜の暗さ、バーの雰囲気、パチンコ屋の感じ、女性の服装。始終楽し気な柄本明尾美としのり。拳銃を手に入れる若い男の子は高校生の役だが、とても手足の長いカッコいい子だが、服装がまさに八十年代で、あーそうだった…たしかに、こんな感じでみんな、ウロウロしてたかもなあ…と思った。