ル・コルビュジエ

今年の桜はやけに強いというか、樹々の葉はすっかり緑色なのに一部の枝の先だけまだ白く花弁が残っているとか、そんな状態の木を時折見かける。昨日も今日も暑すぎず寒すぎずで快適。湯島駅から不忍池沿いを歩くと、カモメたちが人をほとんど怖がってない様子で、手を伸ばせば触れそうなほどの近くで柵のへりに羽根をやすめていて、やがて思い立ったかのようにすーっと低空を這うような姿勢で飛び去っていき、そのさらに遠くを一羽のサギが、一面の浅瀬に影を落としつつゆっくりと歩きながら、長くS字に曲がった首を伸ばして水の底の動きを凝視しつつ、時折思い立ったように素早く水中に嘴を突き入れて、それでまたゆっくりと前進しながら思いのまま勝手気ままに過ごしているのが見える。そのサギの様子をさっきからじっと、地味な上着を着て、まるで動かずにその場に立って観察し続けている一人の老人がいる。微かに笑っているような表情をたたえて、身じろぎもせず、いつまでもサギの姿を見ている。

国立西洋美術館で「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代」を観る。西洋美術館がいつもは常設作品のある場所を今回は企画展示に用いたようで展示空間はかなり新鮮に感じられた。キュビズムをはじめとする美術的なムーブメントが、どの程度当時の社会情勢や人々の形作っている機運、世相、雰囲気と絡み合うものなのか、それが百年も前のヨーロッパだと思うだけで、今の時点でそれを想像するのは難しいし、よしんば日本のことだとしたって易々と思い浮かべられるものでもない。ピカソアビニョンの娘たちを制作したのは1907年、その後ブラックとピカソキュビズムの展開に邁進し、その衝撃は四方へ伝播して異なるムーブメントを生み出す契機となった。ときあたかも第一次大戦前夜、ヨーロッパ全土が沸騰中の時代である。やがてヴィトゲンシュタインセリーヌムージルも戦火に飛び込んでいく。ナショナリズムと外交のめまぐるしい交差、大量殺戮の地獄、古き良き価値感の喪失、今世紀を象徴するありとあらゆる要素がここに揃う。
会場内のキャプションにも記載されていたけど、キュビズムピカソやブラックによって手掛けられた主に1910年代までの作品群と、レジェやグリスなどによる20年代以降の作品群とでは明らかにその作品から受けとれるニュアンスが違うように感じられる。それは洗練とも様式化とも言えるのかもしれないが、いずれにせよ初期キュビズムには漲っていた切迫性というか焦燥感というか、退路なく必死に思い詰めてるような感じは、その後のキュビズム的作品群からは消えていったように僕には感じられる。逆に言えばキュビズムもまだ初期の時代は表現的なものの結果に過ぎずどう転ぶかもわからないもので、それこそが1900年代初頭からの約十年だったのではないかと思う。だからこそ初期のダークなキュビズムが迫力に満ちて躍動的であり、それが理論をともない様式性を帯びることでスピードやダイナミズムを失うかわりに、また別種の豊かさと奥行きを手に入れることができた、とか。
コルビュジエ(ジャンヌレ)たちが提唱したピュリズムとはおそらく初期キュビズムの乗り越えを目指して(発展的解釈として)試みられたものだろう。その展開の先に建築があり、建築におけるコルビジェ様式とても言いたいものが確立していく、その変遷過程、すべての手の内が見えていてシンプルで幾何学的で、しかし各要素が生み出す光の調子と形態の組み合わせをあらかじめ予想することはできない。建築物というのも、人の営みの結果なのだなと、それは避けよう無く歴史の規定下にあるものなのだなと今更のように思った。今日はそれにしても僕はあまり柔軟ではなくて、歴史や戦争の中の人間のことを念頭に置き過ぎの、ややそんな風に思い過ぎているきらいはあったが。
しかし、ジャンヌレの鉛筆素描はどれも大変うつくしかった。建物を出たあと、あらためて西洋美術館の姿を正面からじっくりと観察した。あらためて思ったけど、これはエレガントとか幾何的な魅力とか言うよりも、もっと無骨な思考というか一方的な思いの具現化というか、ある種のはげしさを秘めたものだな、とも思った(上手く説明はできないのだが)。おおらく今と昔では「新しさ」への感覚が違っていて、戦後の新しさとは、とにかく皆がもうせいいっぱいで、何しろそれに身を預けなければ生きてはいかれないほど切実なもので、何の緩衝もない、荒っぽくて冷たくて激しいものだ。だからこそ「新しさ」として実在可能なのだが、今はそれが無理で、戦後も遠くなりにけりな時代における「新しさ」とは、避けがたく相対的なものとしてしか現れなくて「新しさ」と言ったって所詮、従来物に塗った色の違いのようなものでしかないと。