色川武大『百』収録の「ぼくの猿 ぼくの猫」「百」「永日」いずれも、父親という存在についての小説だった。

わが父も亡くなってすでに三年余りが経つけど、父親について思い起こしたり、考えることは少なくない。我ながら意外なほど、父親のことを思い出しては、あれはいったい、どんな人間だったのだろうか、あのときは何を考えていたのか、最期は何を思っただろうか、などと、とりとめもなく考えたりする。

しかし、よく考えてみればそれは当たり前のことで、父親が死んだから、はじめて父親のことを、いろいろと考えるようになったのだと思う。死んだというのはつまり、その人物のまつわるさまざまな属性情報が、もうこれ以上は、何も付け加わらないということだ。静止して、固定した、読まれるのを待ってるだけの本のようなものになったということだ。いや、本は読まれることが前提だが、故人は死んだということ以上は何も無いので、それをどう読み解釈するかの可能性だけになったということだ。要するに、死んだとは、考えるべき対象になったということなので、そのことを考えて当然なのだ。それは、どれほど考えても結論だの正解だのにはたどり着かないことがあらかじめわかっているが、それでも対象ではあり続ける。

だから遺品というのは疎ましいものだ。ほぼゴミだが、それでも考えるときの何かの手がかりではあるだろう。とはいえそれを後生大事にいつまでも保管しておけるわけでもないから、きっとそれらもいつかは消えてしまう。何よりも僕自身がいつかは消えてしまう。だから物品もいらないし考えても仕方ない、それは理屈ではそうだが、だからそれで心から納得にいたるというものでもない。

色川武大が描く父親は、手の施しようがないほどの頑固さ、頑迷さ、厄介さそのものといった存在だが、しかし主人公の「私」は父親を根底で深く愛している。愛しているという言葉は上っ面臭くて、要するに父親が自分で自分の身幅を決めて律している姿を尊く思っているというか、たぶん尊敬とか愛とかとは違う、つまりは律というものへの信仰みたいな感覚として父親をとらえている感じがある。それはそのまま家への忠誠というか、出自とか根拠の尊重、つまり自己愛というか自己維持の意志みたいなものへつながる感じもある。要するに時代に合わせて合理的に変化していくような考え方の反対側に一貫して立ち続ける父を、心では支持している長男という感じだ。自分という玉ねぎの皮をむいてむいて、そうするといろいろなものが出てくるかもしれないが、むききった後には、つまり自分の最終的な根拠みたいなものが、概念とかイメージみたいなものしか無い、あるいは大抵の人は自身を最後までむききらないで妥協したり死んだりする。しかし父親は自らむききって、その最後にはっきりと具体的なものをがあるのだと、そこにおいては誰も父親にはおよばないのだと主人公の「私」は考えている。

耳も遠く幻視や幻聴も頻繁で認知もあやしい九十歳後半の父親に対して、日々の介護や日常ごとのすべては母親や弟夫婦にまかせて、自分はそれらいっさいから距離を置いて、ただ自分と父親との関係をそのように文章で書いているという事態そのものが、ほとんどあきれ返るしかないような構図であることは誰もがわかることだ。むしろそのような立場、そのような取り組みが成立させる「別の律」から、この主人公が徹底して距離をおこうとすることの反映として、各登場人物の配置関係はある。その枠組みのなかで、カタギではない主人公と律そのものである父親との共鳴…と主人公が信じたい何か…が、あらわれるようで、しかしあらわれることはない。この短編集の最後まで読み終わっても、父親はまだ生きている。たぶん生きているかぎりは、あらわれることがない。