雨と鶏

空は晴れてるのに、何の前触れもなく、あまりにも突然の雨が降り出した。玄関を出た直後に、まるで図ったかのように、地上数センチがくまなく白く煙るほどの勢いで、ざあざあと降る中を歩き出した。打ち付けてくる雨の力が強くて傘が重い。あたりにはなすすべなく雨に濡れたままの通行人たち。子供を後ろに乗せた自転車のお母さんが、後ろ手で子の頭上に雨除けのカバーをかぶせて、自分自身はずぶ濡れのままで走り去っていく。家々のベランダに白く並んでいる洗濯物が、そのままで雨にうたれている。

帰宅して、傘を干して、外の湿気と室内の湯気の混ざり合ってるのをいったん換気して、衣類をまとめて洗濯機にほうりこんで、シャワーを浴びて、冷房はフル稼働させて、窓を少し開けると、外の湿った暖かい風がゆっくり動いているのがわかる。

鶏を煮込む。長時間かけて、ひたすら煮込む。するとある要素と別の要素とが、熱と水分によって溶解されていき、肉と骨と油と繊維質が、加熱によってそれ自体の輪郭を曖昧にし、すべて崩れ溶けて流れ去って、その他と見分けのつかないものになる。

煮込まれた素材は、人間が口に運び、咀嚼、嚥下のしやすい、消化がしやすく栄養分を吸収しやすい状態に変貌している。混ざり合った各要素は、それでも完全に一様な状態になることなく、それぞれの個性を残したまままだら状に互いに絡み合っている。

かつて鶏だったものの、今は濃いスープに浸された部位の放つ香りと味わいが、鶏料理の正統性と安心感をあたえてくれる。煮込まれた肉を口にすると、人間が古くから知っているものを、いまこうして味わっている、という感じがする。