この瞬間とさっき

ことにジャズがそうだが、音楽であればある程度共通して感じられる体験要素として反復というものがある。フレーズの反復でもあり、リズムの反復でもある。そもそもほとんどの音楽は一定間隔で打刻される時間の流れをフレームにもつので、そのあいだに複数回の反復が見いだされるのは当然のことだ。ただし一昨日マッコイ・タイナーのことを考えていて、コルトレーンのソロが終わったあとで彼がソロをとるときの演奏を頭に思い浮かべていたときに、もしかしてジャズにおけるアドリブというのは、各人が自由に個性を発揮するためにあるのではなくて、各人が時間をずらしながらお互いに呼応するための、本来なら同時に体験されるべきことをあえて分解してやり取りを時系列に配置することで、本来の対話を聴いた者の脳内に再現させるためにやることなのかもしれないな…などと思った。なんだか回りくどいが、要するに各アドリブは対話で、最初のソロに対する反応として次のソロがあり、さらにその反応として次のソロがある。聴き手はいま「それ」を聴いているときに、その少し前に同じ個所をなぞった別の時間を思い出して、それが聴き手の記憶のなかで混ざり合う。別々の出来事が、区切られた時間の流れのなかで、大きな繰り返しのなかで響き合う。「この瞬間が最高だ」とか「この流れがすばらしい」と感じるとき、それは単独ですばらしいわけではなくて、そう思わせるに至った別のきっかけが必ずあったはず。音楽はいま聴いている個所が過ぎたら、もう次の個所へ移ってしまうのだが、すべてが混ざり合うわけでもなく、すべてが単独でばらけているわけでもなく、不思議に混ざり合ったり分離し合ったりしながらゆっくりと消失していく。その感じを「良い」と言ってる。