お告げ

先々週くらいから、NHK映像の世紀」の、録画したやつを少しずつ観て、最終回を今日観終わった。録画し損ねた4回目と5回目だけ観てないのだが、おそらく昔、一度くらいは観てるだろう。4回目と5回目のあたりは第二次大戦真っ盛りの頃で、観ていてけっこう辛いので、観られなくてかえって助かったという気持ちもある。

うちの妻は、マルコムXホーチミンポル・ポトと、誕生日が一緒だそうで、そのことに、やけに拘りがあるようだ。かなり昔だが、マルコムXについては伝記も読んだらしい。ベトナムの歴史についても、今すぐにでも学ばなければいけない気がするらしい。

それはおそらく「占い」のようなものとして、マルコムXホーチミンポル・ポトといった名前を、ある種の「お告げ」のように、受け止めている、ということになるのだろうか。世界があって、自分がいて、この私は自由意志でもって生きている、あるいは、巨大な制度機構のなかで生かされている、そんな構造の下で、それを斜め上からつらぬくかのように「お告げ」がやってくる。占いがもたらしてくれる情報は、まったく論理的裏付けのない、この世界の仕組みから自由なもので、しかしそれゆえの確からしさをもっている。この世界とは別の論理、枠組み、約束にしたがって、とつぜん私に突き付けられる現実がある、それが私にとって、この世界の仕組みの中においては、マルコムXホーチミンポル・ポトの名に、かたちをかえてもたらされる。

これら歴史上の人物たちの足跡が、ただちに私の人生と直接関係することは無いにしても、それがまるで無関係であると証明することもできないはず。問題は、誕生日が同じということでさえなくて、経緯はどうであれ、結果的にその名が私に届いたということだ。その事実を、重くみなければいけないのだ、と。

ちなみに、僕と誕生日が同じ有名人をひとり挙げるならば、南野陽子である。