自我像

ビデオをオンにしたリモート会議の何が嫌かというと、自分の顔がそこに映っていて、それをずっと見ているのが辛い。イヤなら見なければいいのだけど、いやでも目に入ってしまう。自分が喋れば、喋ってる自分を見ざるを得ない。それが三十分や一時間程度ならまだ許容できるけれども、今日は朝から晩まで、丸一日その状態に拘束されたので、もうほとほとウンザリした。打合せそのものよりも、自分自身の顔ばかりが、心をざわつかせ疲労させた。まったく縁のない他人と間違った距離感のまま過ごしたときの疲労感に似ていた。あいつのあのツラ、毎日あれを他人に晒している、そのことはまあ仕方がないし、いまさら何とも思わないけど、それでも自分で自分を、これだけ長い時間、見るもんじゃないと思った。帰宅中も、あの映像の中のアイツがバカ面さげてノコノコ歩いてるな…という離人的なイメージが終始頭について離れず、そのことが心を軽く苛つかせた。自分が本来こういうものであるということに対して、ふだんとくに意識せず無頓着なまま生きていられるというのは、ある意味幸せなことだなとも思った。