休日


休日になったらゆっくりと過ごしたいとふだん思い浮かべるような、なるべく何もせず呆然としているような、そういう時間が今日だったとしても、後でふり返ってみてそれほど楽しくもなければ感じるところもなかった。なるべく何もしていないにしても、そうしている自分はまた何か別の事を考えているものだし、後で何かしようと考えていて、つまりこの後の何かや今ここではない何かについて考える時間になっていることが多いだろう。何も考えずくつろいでいる自分、というイメージを単純に思い浮かべてしまっている平日の自分は浅はかだ。何も考えず何もしていない自分を、上から眺めたいのだろうか。平日の自分はそのように地に足がついていないところがある。休日を過ごす自分が、平日になったらこんな風に過ごしたいと思う事はない。平日は仕事をしていると最初からわかっていて、ばらばらの仕組みである自分が適所に上手く投入されるように考えているその都度ごとのイメージなので、自分がどう過ごすという風には思わない。夜になって飲みに行ったり、誰かとの雑談など細かいことも含めて、ばらばらとした自分のその都度ごとの振る舞いである。だとしたら、休日もそういうことなのではないか。休日はプライベートな自分を…という言葉から浮かぶイメージは、いまこうして書いてみて、あまりにも紋切り型過ぎて気分がウンザリとする。しかしそのような紋切り型をなぜ今まで信じていたのだろう。その甘さはもしかすると、平日の自分を今までどこかで支えてくれていたのかもしれないが。