大正野蛮

高田博厚の「分水嶺」の最初の方で、高田は奥さんも子供もいるが収入の当てがなく、貧乏の極みみたいな生活をしてるのだが、そんな高田の元に、なぜかもっと貧乏で若い人たちが集まってくる。周囲の者だけで生活していけるように、仲間たちと様々な策を考えて、家を抵当に入れて金をつくり、山羊を買って乳を売ったりする。彼や仲間たちの内で、そういうことを一生懸命やるヤツもいれば、まるで手伝わずに遊んでるヤツもいる。左翼活動で警察に追われてるなら匿ってやり、ある日来なくなって捕まったことを知り、明日は我が身かもしれないと覚悟を決める合間にも、さまざまな連中が、家の中を出たり入ったりしている。

これら文章で書かれた、この時代の空気のようなもの、これらのエピソードをどのように受け止めれば良いのかと、いつも戸惑う。とにかく金がなくて、社会のしきたりのようなものへのコミットが薄くて、だから金を稼ぐやつと稼がないやつ、目的をもったやつともたないやつ、効率や合理ではわりきれない関係があたりまえのように続いて、たぶんそれしか出来ないから、というだけかもしれないけど、とにかくなぜか共存できてしまえる、それが良いとか悪いとかでもなく、不公平とか平等とかへの意識もなくて、皆が好きなようにしているだけ。特高の刑事や警察ですら、そんな感じがある。とにかく組織化が、まだぜんぜん弱い時代。誰もがシステムを内面化しきれてないがゆえの、社会に対して身体を直接ぶつける動物たち、みたいな印象がある。結婚も友達も、ただ似た者同士が寄り添ってるだけのような感じだ。だからこそ野蛮ということなのだと思うけど…。