ケガ人

後ろ手でリュックの中に手を入れてものを探ろうとしたら、おそらくノートかペンの尖った部分に刺さって、見ると薬指内側にほんの少し切り傷があって出血している。こういうとき、とにかく血がどこかにつくことに対して注意しないと、シャツだのジャケットだのを汚した日には目も当てられない。

それにしても、事後的に気づくようなケガの仕方が増えたものだと思う。料理で包丁を扱うのは別にさせていただくとして、それ以外の切り傷や擦り剥き傷なんて、その場リアルタイムでそうなった瞬間を目撃したことなんてここ十年くらいの記憶を振り返っても一度もないのではないか。そして、なぜこんな大げさな出血をともなうケガを気づかないうちに負っているのか、しかもなぜそれが見た目にさららうかのように、どの傷も大した苦痛をともなわず、気にかかるのは出血で汚したかもしれない影響範囲内についての話題ばかり。それが心底不思議に思う。そういうのを毎週くりかえしてる。

こんな風に、心も身体も自分から離れていってしまうなら、自分に残されるのはいったい何なのかと思う。ゾンビみたいに、何かを手に取ろうとしたら、何かの重さに負けてその手が崩れてしまった、そんな経験を、このあと実際にするのだとしたら、いよいよ困った。対人関係ならぬ対身関係というものが、あるよなあと思う。それの見直しを迫られる、自分さん、との付き合い方の見直しを、お勧めしますと言われて、自分さんには自分さんの都合ってものがありますからね、なんてシレっとした言い方をされる感じ。