鏑木清方「随筆集 明治の東京」から、適当にいくつか読んでいるのだが、ここには絵描きとしての自分自身についてや、絵描きと経験や技術の話が、いっさい出てこない(絵描きを志したきっかけ、みたいな話は出てくるが)。ただただ、かつての東京について記憶に残るなつかしさばかりがある。それで、そういう随筆が本一冊分あるのだから、そういう話への需要がたくさんあったわけで、誰もがみな、明治をなつかしい、あの頃は良かった、と思っていた。

清方の父親は新聞記者でもあり作家でもあったとのこと。父親も母親も「はで」好きな人で、文化・芸事をひたすら好むタイプだったとのこと。つまり、粋な人だった。

清方にとって"粋"というのは"粋であろう"とすることではなくて、かつてそうだった、それを忘れないこと、それを何度でもあざやかに思いだすことにあるだろう。清方という人は、"粋"を描いたというか、"粋"を描きたかった、それは、かつての東京を描きたかったということで、つまりかつての東京に生きたあの人たち(幼少の自分が過ごした時代と、その空気を呼吸していた両親たちの時空)を描きたかったということであろう。

(美人画などというものを描くからには、要するに「江戸前で、あざやかでうつくしかったお母さん」を描くことと、不可分ではないのだろう。)