セヴンティーン

大江健三郎「セヴンティーン」(1961年)を読み返した。これを書いていた時期の大江健三郎はまだ二十五歳。たしかにその年齢の作家に特有な性急さというか、あたえられたモティーフから素早く必要最小限な造形を加えて仕上げる勢い重視の作品という感じもする。中編のサイズにエピソードがぎゅっとおさまっているので、小説としての奥行きや深味を期待できるものではないけど、的確な段取りにしたがって展開していく模範的な小説という感じでもある。モティーフ自体がスキャンダラスなので世間的には喧々諤々の話題にもなってしまうのはいつの時代も同じか。誕生日を迎え"セヴンティーン"の私は「いま〇〇である。」という宣言がはじめにあって、その〇〇の中身が、小説の進み行きにつれて変わっていく。"セヴンティーン"であることの普遍性を下地にしてこの私の変容を克明に描写する、実に単純明快な作りの小説であるとも言える。右翼少年が主人公の小説と言えば三島由紀夫の「奔馬」を思い出すけど、ある意味で「奔馬」よりも「セヴンティーン」の方が、より「本気度が高い」という感じがする。「奔馬」は三島由紀夫による精巧な模型細工みたいなところがあるけど、「セヴンティーン」は、完全に本気で天皇を信仰し右翼活動に身を捧げるもう一人の大江健三郎自身という感じがする。すくなくとも「セヴンティーン」後半で主人公の身の内に燃えはじめる確信のようなものは、この小説の書き手が少なくともその時だけは本気で信じた事柄だろうと思うし、もしその担保がなければこの小説は途端に嘘くさくて説明的なだけのものになってしまっただろうと思う。いわばこの小説で、大江健三郎自身が右翼少年として生きることの歓びを強く味わい噛みしめているようなのだ。もちろん「本気さ」は別の何かではなくそれ自体の質によってしか担保されない。だからそれだけの気合でこの小説は、書かれていることをそれ自体で信じているのだと思う。同時に大江健三郎がこの小説を書きながらどのくらい三島を意識していたのか(作品を三島の小説とどのような関係に位置させたいと考えたのか、あるいは考えてなかったのか)も気になるところだが。

(書いてるとき、まるで気づかなくて、いま気づいたけど「奔馬」刊行は1969年だった…。むしろ三島が、大江の本作品に対して何がしかの意識をもったのか否か…)