フィジカル

しばらく前にフィットネスクラブの個人会員契約でなく法人契約であらためて再契約した。これで月謝支払いから都度利用支払いへと変わる。すでに入会して五年以上が経つのだが、初期のまだモティベーションが高かった時期は週二度とか三度とかの頻度で通っていたので、それなら月謝支払いの方が明らかにコスト安で良かったのだが、最近のていたらくではまるで無意味なため切り替えた次第。
泳ぐということ自体に飽きてしまったのだなあとと思う。ひたすらプールを何往復もしてるのが作業のように馬鹿馬鹿しいと感じてしまうなら、それはもう飽きてるのだ。三十分間泳ぐという自ら決めたルールを五分か十分省略したとき、その後ろめたさよりも五分や十分早く終われたよろこびの方が大きいほどだ。

自分で決めたルールを自分が遵守することのよろこびがあり、ある条件下で身体に負荷をかけた際のフィードバックを自分なりに分析してさらなるアウトプットとして試すことのよろこびがある。疲労した身体をつつむ不思議な爽快感と脳内の快楽物質がもたらす快感もある。それらはいずれもフィジカルなよろこびで、アスリートやダンサーの超人的技術や能力を見るのもその感覚を呼び起こすことにつながるものだ。

もちろんこういうのを一気に「どうでもいい」と感じてしまう瞬間もある。与えられた条件下で、皆でひしめき合って、誰が速かっただの遅かっただの、前より良かっただの悪かっただの、だから何だと言うのか、そもそもその枠組みを気に入らないのだと。ただ枠組みとしての身体は、これからもずっと--じょじょに衰弱しながらも--わが身体のままであるのだから、それを基盤にしたフィジカルな試行の面白味はひきつづきくりかえした方が良いというか、その枠内をせいぜい楽しく生きようと心がけるよりほか無いのだけど。