書き手

日記やブログとして書かれた文章を、毎日か数日に一度くらいのペースで読んでいて、ごくたまに、Aさんの文章だと思い込んでBさんの文章を読みはじめてしまうことがある。

もちろん数行も読めば、すぐ間違いに気づくのだが、その前のほんの短い時間、まずAさんが昨日までとはまったく違う世界との向き合い方、感じ方をしていることに、強い驚きをおぼえる。

書かれている内容ではなく、最初の感じで、いつものこの人の感じと違う!と思う。じつはこれまであらわさなかった、こんな呼吸、こんな息遣いのリズム、こんな言葉の配置感覚、こんな「私」の感触や世界観を、この文章の書き手は携えていたのかと、それをこんな風にも表現できてしまうのか、という驚きだ。

それはいつもより「良い」とか「悪い」という話ではない。ただ「違う」驚き。予想の範囲外だった、それは「自由だ!」という称賛にも似ている。

やがて、あ、これBさんだと気づく。しかし気づいてからも「もしこれがAさんだったら」の意外さが消えるわけではないし、「いつものBさん」であることが、即座に納得されてきれいに収まってしまうわけでもない。しばらくの間はその意外さが消えていくのを惜しむかのように、どちらともつかずの気分を維持したまま、Bさんの文章を読み続ける。