流行

あれが流行ってるとか、これがとか、どのように知るのか。今でもよくわかってないけど昔のほうがもっとよくわかってなかった。コーネリアスの「FANTASMA」が出たのが1997年、当時これが、僕にはまったく刺さらなかった。なんか噓くさい、浅すぎるし表面的過ぎると思った。ちなみに1994年に出たビースティーボーイズの「Ill Communication 」には、完全にうちのめされたし、自分の音楽嗜好に大きな変革を強いられたと思う。「Ill Communication 」と「FANTASMA」は、意外とけっこう似たところもあるレコードではないかと僕は思う。しかしなぜか、前者は僕にとって鮮烈であり、後者は僕にとって遠かった。

ドラムンベースの流行というものが本気でよくわからなかった。当時4heroLTJ BukemもRoni SizeもGoldieも聴いたし、R&Bで隆盛を誇っていたティンバランド系レコードもかなり聴いたし、コーネリアスの「STAR FRUITS SURF RIDER」も聴いたけど、ティンバランドドラムンベースで語るのがちょっと微妙な気もするところはご容赦いただくとして、そのケレン味には愛すべき何かを感じたし、LTJ Bukemにだけはその形式に意味があるようには思えたけど、それ以外についてはドラムンベースという枠で考えなくても良いのでは…とも思ったし、そもそもこのリズム形式を、いったい誰が喜んでいるのかがまるでわからなかった。誰もがその形式を採用するから、それが流行ってるんだろうな、と推測するしかないという感じだった。だったら流行って何なの?これほど自分の関心に無関係なことを受け入れなければならないのかと、途方に暮れた。

スクエアプッシャーなど、たぶんドラムンベースの「精神」を今でも抱えているミュージシャンなのだと思う。こういう人の武器として、それは今でもまだこの世界に生きている形式なのだろうと想像する。ある種の内向の形式、だったらレイ・ハラカミもそうだったのかもしれない。しかしそれは日本人を含むある一部の抒情表現の形式であろう。

まあ、ドラムンベースのことはどうでもいいのだ。「Ill Communication 」はチャラいようでいて、とても愚直で、本当にこれしかない、この素材しかないのだという説得力がものすごかったと思う。結局はそういうことが作品を裏打ちする。コーネリアスがはじめてその真価を発揮するのは、2001年の次作「ポイント」によって、と思う。