相手

世の中がどんどん悪くなるので、死ぬ覚悟を決めなければと思う、とする。
戦うにせよ、戦わないにせよ、死の覚悟(殺される覚悟)は必要である、とする。

たぶん、死ぬ覚悟を決めることはできるだろう。過去の人々がそうであったように。
ただしその覚悟には「とはいえ確実に死ぬと決まったわけではない」という心持が裏側に貼り付いている。
「もしかすると助かるかもしれない」という思いは「希望」として必ず心の中に宿る。
だから死の覚悟を決めた人は、死ぬまで「もしかすると助かるかもしれない」と考える。

そして、いよいよ自分が助からないとなったとき、死ぬ覚悟はできていたけれども、しかし目の前に迫るこの死には納得がいかない、そう思うことがある。
もっと他に手立てがなかったか、かつての自分を振り返って後悔する。あるいは、あのときあそこで、相手に戦いを挑むべきだったと後悔する。どうせ死ぬなら一戦を交えるべきだった、と。

そのとき「相手」とは誰なのか。

大岡昇平が「捉まるまで」の終盤で描いた、こちらに気づかず近づいてくる米兵を撃つか撃たぬかの場面。あのアメリカ兵が、主人公にとってその「相手」ではなかっただろう。

どうせ死ぬなら一戦を交える、目前のこいつこそその相手だと確信できるような対象には、きっと永久に出会えない(自分が目前の対象こそそれだと妄信しない限り)。

「捉まるまで」の主人公は"撃たない"ことを選択する。でも、もし相手を「この者こそ刺違えるべき」と思えるならば、撃つことができたはずではないか。それは以前にも引用したことのある以下の論理によって、可能なはずではないか。

しかしこうして無為に眺め暮らしているうちに、私はだんだん自分の惨めさが肝にこたえて来た。船は明日にも解纜するかも知れない。死は既に目前に迫っている。この死は既に私の甘受することにきめていた死ではあるが、いかにも無意味である。
 私はこの負け戦が貧しい日本の資本家の自暴自棄と、旧弊な軍人の虚栄心から始められたと思っていた。そのために私が犠牲になるのは馬鹿げていたが、非力な私が彼らを止めるために何もすることができなかった以上止むを得ない。当時私の自棄っぱちの気持では、敗れた祖国はどうせ生き永らえるに値しないのであった。
 しかし今こうしてその無意味な死が目前に迫った時、私は初めて自分が「殺される」(傍点)ということを実感した。そして同じ死ぬならば果して私は自分の生命を自分を殺す者、つまり資本家と軍人に反抗することに賭けることはできなかったか、と反省した。
 平凡な俸給生活者は所謂反戦運動と縁はなかったし、昭和初期の転向時代に大人になった私は、権力がいかに強いものであるか、どんなに強い思想家も動揺させずにおかないものであるかを知っていた。そして私は自分の中に少しも反抗の欲望を感じなかった。
 反抗はしかし半年前、神戸で最初に召集を覚悟した時、私の脳裏をかすめた。かすめたのはたしかにそれが一個の可能性にすぎなかったからであるが、その時それが正に可能性に終った理由を検討して、私は次のことを発見した。即ちその時軍に抗うことは「確実に」(傍点)殺されるのに反し、じっとしていれば、必ずしも招集されるとは限らない、招集されても前線に送られるとは限らない、送られても死ぬとは限らないということである。
 確実な死に向かって歩み寄る必然性は当時私の生活のどこにもなかった。しかし今「殺される」(傍点)寸前の私にはそれがある。
 すべてこういう考えは、その時輸送船上の死の恐怖から発した空想であった。空想はたわいもないものであるが、その論理に誤りがあるとは思われない。
 しかし同時に今はもう遅い、とも感じた。民間で権力に抗うのが民衆が欺されている以上無意味であるのにもまして、軍隊内で軍に反抗するのは、軍が思うままに反抗者を処理することができる以上、無意味であった。私はやはり「死ぬとは限らない」という一縷の望みにすべてを賭けるほかはないのを納得しなければならなかった。
 私はいかにも自分が愚劣であることを痛感したが、これが理想を持たない私の生活の必然の結果であった以上、止むを得なかった。現在とても私が理想を持っていないのは同じである。ただしこの愚劣は一個の生涯の中で繰り返され得ない、それは屈辱であると私は思う。
(大岡昇平「出征」)

しかし戦う相手とは永久に出会うことができず、最後の行に書かれた「屈辱」を、戦うことで回避できるわけではない。誰もが「屈辱」を受け入れるよりほかない。無抵抗主義者と徹底抗戦主義者の対立とは、じつは偽の対立であり、実際はどうあがいても無抵抗しかありえないのではないか。

そして、結論はない…。ただ愚劣があるだけか。