ドレミファ娘

映画というのは、まあ映画に限らないけれども、見れば見るほどわからない、わからないと思うならまだましな方で、わからないことがわからなくなって、そのことでむしろ、あえて自分の視野を狭めてしまい、もうこの場所から動かずに定点観測でかまわないと居直ってしまいがちで、むしろ年とってからのほうが、映画は難しい。ぐったりと背もたれに身体をあずけたまま、楽しててはダメ。

たまに、十数分とかの単位でぶつぶつと、プライムビデオで黒沢清ドレミファ娘の血は騒ぐ」を細切れにして観ている。「ドレミファ娘」をはじめて見たのは、たしか1990年頃のはず。当時「この映画はすごく面白い!」と、当時一緒に音楽をやっていた友人にすすめたところ「あんなワザとらしい映画はイヤだ」と、次に会ったときに全否定されたのを今でもよくおぼえている。たしかにその反応でまったく不思議ではないタイプの人だったと思う。でもそれなら「勝手にしやがれ」だって、かなりワザとらしい映画だろうと思う。でもそれは、彼がわかってないということではなくて、気に入らないということなのだから、別にいいのだ。もしかすると彼はゴダールならいいけど「ドレミファ娘」は嫌だったのかもしれないが、どちらにしても、それでいいのだ。なにしろそのように思う余地もあった、それは昔からあった、昔のほうがあった。

大学は花盛り…という歌の文句を、いつまでも頭の中にくりかえしていた。大学は花盛り、それがすでに映画の中にしかありえないのだと、当時大学生の自分は思っていた。大学という場が花盛りであってほしいなどとは、一度も思わなかったが、洞口依子がふらっと遊びに来てほしいとは思っていたかもしれないし、実際にふらっと遊びに来たい人はたくさんいただろうけど、それはなにしろ、そういう問題ではなかった。

「ドレミファ娘」はある一時期において、この映画こそが自分を説明してくれるものだと、そこまで思い込んだこともあったかもしれない。これは本気で、我が身と引き換えに全霊を賭けて擁護しなければいけない単独的な作品だと思った瞬間も、あったかもしれない。

それにしても、今観ても、昔観たのと同じだ。