TOPICA PICTUS(1)

TOPICA PICTUSでは、キャンバスの周囲に、額縁が取り付けられている。が、これは額縁と言えるのか、

各コーナーを囲うだけで、四辺が空いていたり、縁は左右だけで上下にはなかったりする。これは額縁として、その内側にあるのが絵の内容であることを示しているわけではないし、まして絵を外部の衝撃から保護しようとするために取り付けられているわけでもない。

そもそも額縁とは、絵画の制作が完了してからはじめて取り付けられるものだけど、TOPICA PICTUSのシリーズにおいては、そのような絵画と額縁の順番を簡単に予想できない。これはいったい、内側と外側のどちらが先に「始まった」ことなのか、そのことが判断できない戸惑いのようなものが胸のうちに広がる。

見ているとどうにも、絵の内容が額縁に「反応」しているかのような、額縁の形状に絵の内容が「影響」を受けているように見える。しかしまっさらのキャンバスにあらかじめ額縁が取り付けられた状態で、この絵の内容が描かれた、というわけでもないと思われる。
それが成立するまでの時間的な経緯を想像できない。描かれたものとしての在り様と、今ここにある在り様とが、容易に結びつかない、キャンバス上のイメージの成り立ち方、キャンバスと額物との関係や順序性に、安定的な根拠を見出せない。

ある種の絵画が喚起させるのは決まって、このような不安感とか、不安定感のようなものだ。それは絵画というよりも、それに対する自分の感覚や知覚に対して感じられるものだ。

絵画はイメージでありながら、イメージを受容するこちらの感覚器のフレーム枠を絶妙な按配で揺るがせるような働きをもつものとしても存在する。では、だとしたら絵画は、イメージと、あともう一つ別の、要素をもつ物体なのか。それともそれは不可分なイメージがもつ二つの効果なのか。